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うたわれるもの二次創作小説(SS)『神話』第二章:『月の民、月の娘』

・PCゲーム「うたわれるもの」の二次創作小説(SS)です。言うまでも無く原作のネタバレ全開。

・ご興味がある方だけご覧下さい。というか、ゲームやってない人にはきっと意味不明。

・基本的にはPC版準拠です。その為、恐らくはアニメ版とは大分異なる部分があります。ただし、一部でPS2版『うたわれるもの 散りゆく者への子守唄』等その他で判明した設定等を用いる(つまり、場合によってはその辺りのメディアのネタバレを含む)可能性があります。

・前回注意書きで書いた通り、作品に随時手を加えることがあるかも知れませんが、大幅なストーリー等の変更を伴う場合はVerを振ったりして対応する予定です。(まぁ、そこまでの改変は、多分やらないとは思いますが……。)また、そのような場合には、後日、後書き等でその旨をお知らせします。

・フォントサイズが小さすぎたりする場合は、適度にブラウザで調整をお願い致します。また、本作品はルビを表記する為に、rubyタグを使用しております。その為、一部のブラウザでは作者が意図した形でルビが表示されない可能性があります。申し訳ありません。

序章及び第一章『パクス・トゥスクリーナ』はhttp://d.hatena.ne.jp/settu/20071113/p1に掲載しておりますので、初見の方はまず、そちらからご覧下さい。その他の注意書きに関してもそちらをご覧下さい。尚、参考にさせて頂いたサイトをいくつか追加しております。

・ご感想等を頂ければ大変嬉しく思います。今後の参考等にもなりますので、宜しくお願い致します。

(現在臨時改訂中につき一旦掲載を取りやめています。日曜日中には再upします。すみません。)

2007/11/25追記:再掲載しました。





『神話』


第二章:『月の民、月の娘』

 


「綺麗な、お月様ですよね」
 欄干に手をかけ、月を見上げているサクヤが、嬉しそうにそう言う。
「ああ、確かにな」
 ハクオロも、サクヤの隣に並び、それに倣う。
「酒でも呑みたくなる」
「ハクオロ様、お酒お好きですしね」
「まぁ、な」
 ハクオロは小さく笑う。
「佳いものだぞ。月見酒は」
「そう、なんでしょうね」
 何故か、サクヤはどこか懐かしむように言った。
「……クーヤと会った時は、いつもこんな風に月が輝いていた」
「……はい」
「クーヤは月を見ることを好んでいた。無遠慮に、照らしつけないのが、いい、と」
 ハクオロは、しばし思いに浸る。
 やがて、サクヤが言った。
「おじいちゃんも、好きでした。お月様を見るのが」
「……そうか」
「それと、お月様を見ながら、お酒を呑む事も。ハクオロ様のように」
「そう、だったのか」
「はい」
「……なら今度、よい月が出た晩にでも、ゲンジマルにも酒を持っていってやるとしようか」
「あ……」
 サクヤは、頭を下げる。
「ありがとう、ございます」
 静謐さに満ちた空気の中、彼らはただ、月を見る。
「サクヤは、どうなんだ」
「え?」
「月は、好きなのか?」
「あたし、ですか?」
 少しだけ、戸惑ったように言う。
「ああ」
「……どう、なんでしょうね?」
 そう言って、彼女は困ったように笑う。
「随分と、曖昧だな」
 静まり返った皇城。虫の声だけが辺りに響いている。全てが月光に包まれた世界。
「……いえ、その、やっぱり、好きなんだろうと思います」
 辺りを、見渡す。
「こうやって、ここに何度も来てしまうのも、きっと、お月様を見て、優しい気持ちになれるから、なんでしょうね」
「……それに、故郷の月とも同じだから、か?」
 サクヤは、その言葉に、ちょっと驚いたような顔をする。
 そして、彼女はどことなく寂しそうに、答えた。
「……ええ、そう、なのかもしれませんね」
「……早いものだ」
「……はい」
「色々なことがあったが、皆、昨日の事のように思い出せる」
「はい」
「……クーヤは?」
「良く、お休みになっておりますよ」
「そうか」
「今日も、とってもご機嫌でしたから」
「それは、何よりだ」
「はい、本当に」
 サクヤは微笑む。
「ただ最近は、廊下を走り回るのがお気に入りなってしまっているので、皆さんにご迷惑をかけていないか、それが気掛かりなんですが」
「はは、その程度は気にしなくてもいい」
「あ、はい、ありがとうございます」
 そして、申し訳無さそうに付け足す。
「すみません、クーヤ様も本当にお元気で、なかなかあたしも追いつけなくて」
 ハクオロは、一瞬だけサクヤの左足に目をやった。
「この間の事は、残念だった」
「あ、いえ!」
 サクヤが、慌てたように手を振って、打ち消す。
「とんでもないです! あたしなんかの為に、わざわざありがとうございました。本当に」
 これ以上は、薬草中心の治療ではどうにでもならない、そういう見立てをエルルゥから聞かされたハクオロは、ウルトリィに、オンカミヤムカイに居るという、数少ない、高度外科技術をマスターしたという医術士の派遣を依頼していた。しかし、先日やって来たその医術士の診断は、あまり芳しいものでは無かった。
 エルルゥ様は誠に素晴らしい薬師で御座います、とその医術士は言った。流石は、かの名高きトゥスクル様のご息女にあらせられます。
 つまり、エルルゥが行ってきた処置、治療と機能回復術は極めて適切なものであり、言い換えれば、それ以上のことは出来ない、ということなのだった。
 腱を切られたのは左足だけだったから、傷さえ癒えれば、移動する程度の事なら、出来る。
 しかし、それが限界なのだった。
 あるいは、部族によっては、私共の技法を用いる事により、これ以上の回復も期待できたかも知れませんが。
 医術士は、そう結論付けていた。
 そういうことなのだった。この世界の医療技術は、基本的にはこの世界の『一般的な』人類を対象として構築されたものである。別に全員がギリヤギナ族のような特別に強靭かつ高い回復力を備えた肉体の持ち主では無いとしても、殆どの種族は肉体的には旧人類より強化された存在であるか、さもなければ、オンカミヤリュー族のように、我が身に備えた術法の力を、自らの治癒力に転化できるような存在だった。いずれにせよ、自己回復力もまた、その世界の『一般的な』人間レベルのものが期待されていたのだった。
「あたしはもう、今のままでも、十分に幸せですから」
 サクヤはそう言った。
「こうして、毎日、クーヤ様と無事に暮らさせて貰っているんですから」
 嬉しそうに続ける。
「これも、ハクオロ様が、おじいちゃんやあたしの願いを聞き届けて、クーヤ様を助けてくださったからです。本当に、ハクオロ様には感謝しています」
 そして、サクヤは頭を下げた。
「ありがとう、ございました」
「……」
 ハクオロは、黙ってサクヤを見つめる。
「……ハクオロ、様?」
 そして、ハクオロはサクヤから目を逸らし、再び月を見上げた。
「ゲンジマルが」
「え?」
「ゲンジマルが、サクヤを抱えてこの國に来た時、何と言ったか、覚えているか?」
「……はい」
 サクヤは、頷いた。
「ゲンジマルは言っていたな。単一部族での支配が完成したとしても、最後には多大な犠牲を伴って崩壊する。それだけは避けなければならない、多少の犠牲を伴ったとしても、と」
「……」
 ハクオロは、少し時間を置いてから、続けた。
「クーヤのやろうとしていた事は、最終的には、クーヤの民に決定的な悲劇をもたらす。そして、クーヤの過ちを止めること、即ち君主の道を正すことこそが誠の忠義であるとゲンジマルは考えた。だからこそ、クーヤを救って欲しい、君主の道に反することから、つまりクーヤの民を自ら滅亡に招くという、君主としての大罪から救って欲しいと、私に頼ってきた。孫娘を身代(ひとじち)にしてまで。……そして、それは、サクヤの願いでもあった筈だ」
「……はい」
「……私は、クーヤ自身からも、クーヤの民のことを、託されたんだ」
 ハクオロが明かしたのは、クーヤの現在を良き事ととして考えている、或いは考えようと努力している、サクヤにはいまだ知らせていなかった事実だった。
「クーヤは願っていたよ。自分はどうなってもいい、ただ、民のことだけは、と。クーヤは、まさしくクンネカムンの(オゥルォ)として、務めを果たそうとしていたんだ」
「クーヤ様……」
「クーヤを救うということは、クーヤを罪から救うということだ。皇が、民を、滅びに導くという最大の罪から」
「……」
「だからこそ、私は躊躇ってしまう。サクヤの感謝の言葉を、受け入れる事を」
「……」
「私は、ゲンジマルの、そして、サクヤの願いに応える事が出来たのだろうか。……クーヤを、『救う』事が、出来たのだろうか、と」
「……ハクオロ様」
「聞いているだろう。今、西の方がどんなことになっているか」
 そういうことなのだった。それこそが、ハクオロが敢えて無視してきた一つの要素なのだった。
 ハクオロが、「大体が巧くいっている」と考えている現在の大陸情勢。その唯一の例外、クーヤの民、即ちシャクコポル族。
 クンネカムンの崩壊。その後、西方各國が再び陣取り合戦を開始するまでの間に、彼らは何もする事が出来なかった。『浄化の炎』によって皇都とその周辺が吹き飛ばされたことにより、國としてのかたちを維持する為には必要不可欠な中枢、皇族と官僚機構が丸ごと消滅していたのだ。勿論人口自体もそれなりのダメージを受けてはいたが、非戦闘員であるが故に、クンネカムン皇クーヤの、純粋な思い遣りからの命令に従って皇城から離れ、その近辺に避難していたそれらの人々の全滅は、それよりも遥かに大きな問題だった。クンネカムン独特の統治システムも、さらにその事態を悪化させていた。本来、大陸に於いては、大抵の國なら、國内に有力な豪族が地方勢力として存在するものである。豪族は皇に忠誠を誓い、皇は豪族達に地位と特権を与える。だからこそ、通常であれば、國が消滅しても豪族は生き残り、或いは、豪族の叛乱によって國を転覆させたりもする。ところが、クンネカムンでは、國を支える豪族は、皆、皇都に居を構える事が定められていた。
 その理由は、誠に合理的なものであった。クンネカムンが、その國体を維持し続けられたのは、偏にアヴ・カムゥによる圧倒的軍事力を保持している事による。そして、アヴ・カムゥの数は限られている。だからこそ、アヴ・カムゥを分散運用して、使い減らすような危険性は避けねばならない。アヴ・カムゥは強力ではあったが、クンネカムンの技師達は、その機構を分析する中で、それが極めて脆弱な部分も併せ持った兵器であることも理解していた。だからこそ、各豪族に割り振られていたそれも、即座に集中運用できるようにしておく必要があった。さらに言えば、宗教的・歴史的に他種族と対立関係にあるシャクコポル族にとり、敵は外にしかありえない。だからこそ、戦を起こす時は、一斉に行動を取る必要がある。兵力を分散させる必要は、何も無かったのだ。だが、それ故に、戦の前線には立っていなかった有力豪族の長達や、彼らの一族の多くの者までもが、その一撃に巻き込まれることとなったのだった。
 結局、シャクコポル族は、周辺諸國が戦による荒廃から復興し、クンネカムン旧領への侵入を開始するまでに、組織的連帯を回復する事が出来なかった。
 また、中枢が灼き尽された事は、別の意味でも大きな問題があった。オンカミヤムカイのウルトリィや、トゥスクルのベナウィは、停戦交渉、言い換えれば降伏勧告を旧クンネカムン勢力と行い、事態を終結させようとしたが、そもそもどこの誰と交渉すれば良いのか、皆目、分からなくなってしまっていたのだった。オンカミヤムカイ賢大僧正オルヤンクルの名前で大号令を発し、戦を始めた以上、形式的には、相手側が本当に全滅でもしない限りは(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)、それを終了させる為には、クンネカムン側の公式な場においての明確な降伏の意思表示がどうしても必要だった。本来は中立を旨とするオンカミヤムカイ、その賢大僧正の名前で戦を命じるというのは、それだけの重大さを持ち、それだけの面倒さを要求する行為なのだった。そして、上記のように、その「クンネカムン側」となりうる組織は既に存在しなかった。つまり、いつまで経っても、対クンネカムン戦の終結宣言すら出せなくなっていたのだった。対クンネカムン戦役が、クンネカムンの崩壊と諸國の疲弊をもって『事実上』終結した直後は、そもそも誰も戦の継続を望んでは居なかったからこそ、特に問題にはならなかったが、事態が沈静化し、西方諸國がそれなりに動けるようになった頃になると、これが、それらの諸國に格好の大義名分を与えてしまうという意味合いに於いて、非常に厄介な問題として顕在化していた。
 かくして、済し崩しに、西方諸國による侵攻が始まった。
 ただでさえ身体的戦闘力が他族に劣るシャクコポル族にとり、それは余りにも致命的過ぎる事態だった。
 それは、もはや戦ではなかった。肥沃な農地や先進的集約産業拠点を目的に我先に奪い合う各國。そこに居住していたシャクコポル族の住民は、ただ狩り立てられ、追い立てられるだけの存在でしかなかった。
 最も、それは、いつかは終結するものではあった。各國の目的はなるべく多くの領土を獲得することであり、シャクコポル族の殲滅では無かったからだった。特に、侵攻後半になると、各國は互いに領土を奪い合うことに夢中になり、要地から避難したシャクコポル族はそのまま放って置かれることとなった。そのうち、ウルトリィの外交政策も効を奏しはじめ、ベナウィが開始し、そしてそれをハクオロが徹底的に拡大させた保護地域設置政策も多少は巧く行った。かくして、西方諸國の戦は、ある程度の収拾を見る事となった。
 だが、それこそが、シャクコポル族の真の苦難の始まりでもあった。戦いが下火になってから初めて、各國は國内に残留する、忌むべき異民族に本格的に注意を向け始めた。そして、各國の兵士や住民は、アヴ・カムゥに祖國を破壊され、親しき人々を殺されたことへの復讐心に燃えていた。結果として、一方的な殺戮が幾度と無く発生した。ただでさえ辺地に追い遣られ、散り散りになっていたシャクコポル族に、抵抗する力は残っていなかった。
 ウルトリィは事態を憂慮し、各國に自制を求めると共に、残存するシャクコポル族住民の保護の為に、かつて対クンネカムン戦で発せられた宗教令の中の一条項を曲解を尽して運用する事で、オンカミヤムカイがその保護に関わる法的・宗教的根拠を捻り出し、それをもって各國に数十名の『監視官』を派遣していた。
 だが、その何れも大した効果は発揮しなかった。道義的な呼びかけに、各國は表向きは従う姿勢こそ見せたが、その動きは極めて鈍かった。異教を信ずる異民族を放っておくよりは、排除して自分達の民を住まわせた方が都合が良い、という当たり前の判断がそこには在った。國同士の闘争を停止するという方針に関しては、積極的にウルトリィに賛同していたエルムイやハップラプ等の幾つかの國々も、シャクコポル族住民への迫害・殺戮停止に関しては、全く別の態度を見せていた。また、本来は、何らかの戦に伴い、その手の、住民や非戦闘員への殺戮が発生することを阻止すべく監視することを任務とするのが『監視官』であったのだが、問題は、彼らは全員がオンカミヤリュー族の人間であった、ということだった。つまり、彼らの中の少なからぬ人間が、オンカミヤムカイに侵攻してきたアヴ・カムゥによって、憎しむに値するだけの被害を受けていたのだった。本来、暗黙的了解から絶対不可侵とされていたオンカミヤムカイで起こった流血だったことが、彼らの心理的衝撃と、それに伴う怨恨をますます根深いものとしていた。そして、そもそも、彼らの主神たる大神(オンカミ)ウィツァルネミテアを禍日神ヌグィソムカミと忌嫌い、『大いなる父オンヴィタイカヤン』を信仰し続ける、彼らにとっては蔑視対象でしかない種族の保護に熱心になれという話自体が、どだい無理なものだった。結論として、『監視官』の中には、殺戮を事実上黙認してしまう者が多数居た。いや、それだけではなかった。場合によっては、むしろ彼らは兵士や住民達に積極的に荷担していた。オンカミヤリューならではの法力を用いた探知術は、山間に隠れるシャクコポル族を見つけ出す事に非常に有効に機能した。挙句の果てには、殺傷的術法をもって、シャクコポル族の駆逐に自ら参加する者まで居た。数人の監察官で村を取り囲み、一斉に光術を放つ事で、一撃で一人残さず全滅させたことすらあった。そうハクオロにも伝わっていた。彼らの身に叩き込まれていた厳格な戒律も、その抑制には何ら意味を為さなかった。その教義は、あくまで、ウィツァルネミテアによって『解放』された、ウィツァルネミテアを信仰する神の子らだけの為のものであるからだった。その姿勢は『温情に流されている』ウルトリィよりも信仰論的にには正しいものですらあるのかも知れなかった。抑止どころの騒ぎでは無かった。
 その傾向は、トゥスクルが抑えている筈の保護管轄地ですら発生していた。住民保護がハクオロ皇の意向とされたこともあり、トゥスクル兵が能動的に殺戮に参加することこそ無かったものの、周囲から住民や軍が侵入し、何らかの騒ぎを起こすことへの『黙認』はあちこちで発生していた。理由は言うまでも無かった。トゥスクルから派遣されていた兵士達の多くもまた、母國を、異教徒のアヴ・カムゥに蹂躙されたことを覚えていた、そういうことなのだった。
 つまり、今日もまた、クーヤの民は殺されている。
 ハクオロの手によって成し遂げられた『パクス・トゥスクリーナトゥスクルによる平和』の現実とは、このようなものだった。それは、クーヤの民を埒外とする事で、初めて平和と呼べるものなのだった。
 結局のところ、シャクコポル族は、かつてのギリヤギナ族のように、過ぎた覇道を夢見たことへのツケを支払わされているのだった。ラルマニオヌを建國し、支配階級として、それなりの大人口をもって諸族のトップに君臨していた筈のギリヤギナ族が、少数民族と呼称されるまでに数を減らした事には、それなりの理由と、それなりの物理的過程があった訳だが、それと同様の事が起こっている、そういうことなのだった。
 このような事態を避ける為にこそ、ゲンジマルは、動いたのでは、なかったのか。サクヤは、ここに来たのでは、なかったのか。
 ハクオロは、この現状をゲンジマルの言った「多少の犠牲」程度のものである、として開き直れるような人間ではなかった。
「……でも、ハクオロ様は」
 サクヤは言った。
「ここへ……、ハクオロ様を頼って、逃げてきた人々を、助けてくれているじゃないですか」
 サクヤが言っているのは、最近、頓に増加し続けている、遥か西方からいくつもの國境を超えて逃げてきた、シャクコポル族の避難民の事だった。
 そもそも、避難民は、西方諸國が活動を開始した頃から発生していた。留まっていては殺される、だったら逃げた方が、と判断するのは、至極当然なことではある。ハクオロが帰還を果たす以前から、そういった一部のシャクコポル族が、クンネカムン旧領―シケリペチム旧領間の山脈地帯を超え、トゥスクル領域にやってくるようになっていた。
 トゥスクル建國後、ヤマユラでの経験から、ハクオロは移民の受け入れに関する法を定めていた。そして、ハクオロ不在の状態であっても、避難民達はその法に基づいて領内に入る事が許され続けた。
 始めは、難民たちはそれほど問題にはならなかった。無論、トゥスクルにおいても戦の爪跡は残っており、トゥスクルの民が『穴人』たるシャクコポル族に対して向ける視線は温かなものとは限らなかったが、それでも絶対数が少ないうちは、それ以上の何かは起こる事は無かった。ベナウィは、彼らに、食糧と、農地となりうるいくらかの土地を提供し、住民となることを望むのであるのなら、それが可能となるよう、手配した。
 問題は、クンネカムン戦役終戦から数ヵ月後、一つの事実が世に広まった事を端として、発生した。
 クンネカムン皇、アムルリネウルカ・クーヤは、トゥスクルに居る。
 本来、クーヤの存在はトゥスクルにとっては秘匿事項だった。故に、クーヤは常に皇城の中に留め置かれていた。だが、何人かの高官を通じて、その情報は噂として周辺諸國にも伝わり……、そして、それは、西國にも伝わった。それを事実として認識したのはあくまでも各國の上層部であり、民にとってはただの噂でしか無かったが、たとえ、噂であっても、それは決定的な情報だった。その話を聞いて、「そこ(ヽヽ)なら、大丈夫ではないか」と考えるシャクコポル族の民が少なからず出てくるのは、已むを得ないことだった。
 難民が増加した。
 シケリペチム旧領北部や、トゥスクル本領の彼方此方で、耳の長い避難民の姿が目立つようになった。対立が、発生し始めた。
 ベナウィは、彼らのいざこざが流血の事態に発展しないよう、軍を動かした。監視の目さえあれば、今の所は、それ以上の事は避けられるというのがベナウィの判断だった。確かにその判断は間違ってはいなかった。アムルリネウルカ・クーヤを受け入れている、という噂が広まっていることで、かえってそれはハクオロ皇の意向であるという意識が住民達の間に共有されていたのだった。民に敬愛されるハクオロ皇の判断を受け入れてこそトゥスクルの民、という気風が住民達の間には形成されていたのである。
 だが、それも限界がある。勿論ベナウィもそれは分かっていた。故に、ベナウィは、シャクコポル族に対しての、國境の封鎖の検討を始めていた。理念としては多種族國家を標榜するトゥスクルに於いて、特定種族を対象としたそれはあまりにも大きな政治的転換を意味してしまう可能性があったが、ハクオロから預かっているトゥスクルの維持の為には仕方の無い事、とベナウィは考えていた。そして、さらにベナウィは、それでも難民がトゥスクルを目指す事を止めようとしない場合は、國境で立ち往生しているシャクコポル族難民の一団を、一度、トゥスクル正規軍でもって襲撃、殺戮、排除することでもって見せしめとし、トゥスクルとしての明確な意思表示とすることすら検討していた。ハクオロがベナウィから聞いた話では、そういうことだった。
 ハクオロが帰還を果たしたのは、まさにそのような事態が発生し掛けている最中の事だった。そして、詳細を理解したハクオロは、程無く一つの決断を下した。
 クッチャ・ケッチャ南端部の平野に、開拓入植地を設置する。
 クッチャ・ケッチャ全土はトゥスクルの支配下にあり、そこの住民である騎馬民族は、ハクオロ皇が温厚な政策を取ったこともあり、基本的にはトゥスクルへの忠誠を誓っていた。だが、それでも、当然の事ながら、トゥスクルに不満を持つ部族や豪族も多少は居た。そして、その頃、一つの事件が起こっていた。シケリペチム復活を唱える小勢力の一つが、クッチャ・ケッチャの一部族と結託し、同時に蜂起したのだった。皇城を占拠しさえすれば何とかなるという彼らの甘過ぎる目論見は、そもそもトゥスクル皇都周辺に侵入する以前に殲滅された事であっけなく潰えたが、その後の鎮圧過程の中で、たまたま、クッチャ・ケッチャ南部に空白地帯が生まれていた。もともとクッチャ・ケッチャの民は騎馬民族であり、そのような定まった領土など持たない、というべきだったのかも知れないが、少なくとも、名目上はそのような形になっていた。
 ハクオロは、そこを改めて、トゥスクル直轄地として接収した上で、そこに避難民達をまとめて入植させることとしたのである。水源に多少不安はあったが、大規模な灌漑を行えば、草原はそのまま広大な農地と転化させることも出来るだろう、と彼は考えていた。
 勿論、そのような面倒な策は取らず、締め出してしまった方が手っ取り早く、そして、確実な事はハクオロにも分かっていた。否、ハクオロが、トゥスクル皇としての責務を全うしようとするのなら、そうしなければならなかった。ごく少数の移民を、既存住民に溶け込ませる形で共存させるならまだしも、それこそ、新たな土地に纏めて住まわせるというのは、どれほどの面倒を引き起こすか知れたものではなかった。それは、異教を信仰する異民族を、その文化を保持させたままそこに住まわせ、コミュニティを形成させることを意味していたからだった。そこに容易に対立が発生するであろうことは、あまりにも自明なことだった。
 だからこそ、封鎖策どころか、積極的に難民を殺戮することで、トゥスクルを維持する代償として、名君誉れ高きハクオロ皇の威光を深く傷をつけ、その道徳的な評判を地に落とすであろう方策を採ろうとすらしたことを深く詫びるベナウィを、彼は賞賛すらした。ハクオロは、ベナウィがまさに「トゥスクル」の為にそれを行おうとしていたことを理解していたからだった。思えば、ベナウィは、ハクオロ達が蜂起した当初、あくまで民の為を思ってその叛乱を鎮圧しようとしていた。自らの手を血で汚し、泥を被り、民の恨みを買ってでも、敢えて少数の者を犠牲とし、それをもって大きな悲劇を回避する事を良しとしていた。ベナウィは、まさにトゥスクルの士だった。
 さらに言えば、ハクオロは、『眠り』につく時、ベナウィに、クーヤとサクヤの保護を依頼していた。結果として、ハクオロ『帰還』時まで彼女らは無事であり、ベナウィは見事にその任を果たした訳だが、その意味合いに於いても、ベナウィの方針は誠に合理的なものであった。クンネカムン皇とその侍女、二名のみ(ヽヽ)の安全を考えるのならば、彼女らを頼ってやってくるシャクコポル族は、軒並み排除、つまり、有り体に表現してしまえば、皆殺しにしてしまうのが言うまでも無く確実だからであった。
 だが、ハクオロはそういった面で、優しすぎる、もしくは甘すぎる男だった。それが彼の長所であり、同時に短所でもあった。
 それは、間違い無くトゥスクルにとっての不安定要因になるだろう。クッチャ・ケッチャの民の反発も招くだろう。クーヤとサクヤに、何らかの面倒を持ち込みすらするかも知れない。それでも……、それでも、これで、國が滅んでも尚クーヤを信じ、トゥスクルを頼ってきた避難民が救われるというのなら、それも、許されるのではないか。
 それが彼の最終的な決断だった。
 勿論、道義的な面だけからそう判断したのではない。どのような形であれ、クッチャ・ケッチャ南部住民への感情を配慮して、放置状態せざるをえなかった南端部の土地の一部を農地へ転化できるのなら、結果的にそれはトゥスクルに新たな富をもたらす要素ともなるかも知れない、そういう目論見もあった。さらに言えば、クンネカムンは、シャクコポル族の身体的特性に起因する事情から、大陸においては比較的、教育制度の構築に熱心な國だった。故に、そこの民の教育程度は、基本的に一定レベルのものは確保されていた。そこに着目していたハクオロは、あくまで、将来的な話であるが、入植地においても、何らかの産業すら興せるかも知れない、とも考えていた。西方諸國はあくまで設備の奪取に血眼になっているが、ハクオロに言わせれば、それらはそれなりの教育程度と煉度を備えた労働力があってこそ、機能するものであった。それらの意味においては、難民問題を奇貨としたという点で、彼のやったことは、クンネカムン戦を切っ掛けに領土拡張を目論む西方諸國と似たようなものでもあるのかも知れなかった。
 いずれにせよ、そのような形で入植は実行された。
 そして、その開拓入植地運営は、現在は、様々な問題を抱え、また新たに発生させながらも、基本的には良い方向に向かっている。少なくとも食糧に関しては自給の目処も立ち、新たな避難民を受け入れる余裕もまだ十二分にある。
 サクヤが言っているのは、そのことだった。
「罪滅ぼし、みたいなものだよ」
 ハクオロは言った。
「西方に居る、クーヤの民を見捨てている、そのせめてもの罪滅ぼしとして、ごく一部のシャクコポル族を助けている、それだけのことだ。私自身の精神的安定の為に、な」
「それでも、とても凄い事ですよ」
「……私は」
 ハクオロは、苦痛に満ちた表情で言った。
「嘘吐きに、なり切れなかった」
「……?」
 開陽殿で、満身創痍のクーヤと対峙した、あの日。
『余はどうなっても良い。だが、民のことだけは……』
 クーヤは、そう言った。
 ハクオロは、それがクーヤの、最後の虚勢であったことを理解していた。しかし、虚勢であったからこそ、彼はそれを果たす義務があった。彼は確かにあの時、クーヤの願いに『約束する』と応えたのだから。
 それは、トゥスクル皇とクンネカムン皇の間に為された、誓約であった。
 なればこそ、本来ハクオロは、全てを投げ打ってでも、クンネカムンの、クーヤの民を救う義務があった。しかし、結局のところ、現状はその誓約を、完全に(たが)えるものだった。ハクオロは、自らが眠っていた間に、その罪を犯していた事を知った。そして、最早西國においては、それは取り返しがつかないということを。殺戮が停止するのは、恐らく、西國でシャクコポル族が全滅した日となるであろう事を。
 ハクオロが、しばしば、自らの頭のなかで、思考的遊戯として組み立てていたトゥスクルによる大陸統一策。ハクオロは、何故自分がそんな考えを弄んだのか、本心では理解していた。
 そう、ハクオロは、クーヤの民の救済、ただその為だけに、全國統一を行う衝動に駆られていたのだった。
 無論、それは許されない話だった。
 それは、自らが約束を果たすという自己満足、ただそれだけのために、國を私することを意味していたからだった。かつて民を扇動し、多くの犠牲者を出す事を代償としてトゥスクルを打ち建てたハクオロには、許されない大罪だった。
 故に、ハクオロは、クーヤとの約束を、破った。
 それは決して言い訳の出来ない事実だった。彼が、『帰還』後も行動を起こさないことを選択した時点で、それは、確定してしまった事だった。彼は、自らの皇としての立場を全うせんが為に、クーヤの民を見殺しにした。
 難民問題は、そんなハクオロに、もう一度、約定の意味を問うものだった。
 ハクオロの前には、いまだにクンネカムン皇たるクーヤの名前を恃みとして、トゥスクルを頼ってきた人々が居た。
 そこに居たのは、まさにクーヤから託された、クーヤの民だった。
 そして、彼は『逃げた』。一國の皇として、自らの義務として、もう一度クーヤとの約定を破棄することから。
 確固たる決意をもって、クーヤの民を地獄ディネボクシリに追い落とし、そのことをもってして、クーヤに裏切り者と罵られるのを甘受することから。
 信じても、良いのだな。……本当に、信じても、良いのだな。そう言った、クーヤの、民を思っての純粋な願いを、無言で踏み躙ることから。
「私は、嘘吐きになりたくなかった。いや、そうであることを認めたくなかった。西國の、クーヤの民を見捨て、クーヤに皇としての大罪を負わせてしまった時点で、既にそうであったというのに。……私は、クーヤを救えなかったというのに」
 ハクオロの告悔を、サクヤは、黙って聞いていた。
 それから、彼女は何故か、微笑んだ。
「……ハクオロ様」
「……なんだ」
「『狩場』って、御存知ですか」
 唐突な問いかけに、ハクオロは戸惑った。
「ラルマニオヌがまだあった頃の、話なんですが」
「……いや」
 ラルマニオヌ。ギリヤギナが諸族のトップとして君臨した、巨大國家。ハクオロは、その程度のことしか知らなかった。否、覚えていなかった、という方が正確かも知れなかったが。
 『空蝉』は、『分身』と共に、互いに眷属を率いて何度も争っている。史書から分かる僅かな事実から推測する限り、ラルマニオヌは、『分身』が勝利した事に伴い、その眷属だったカルラの父が築いた國家の筈だった。壱たるウィツァルネミテアそのものとしてエルルゥ達と対峙し、そして大封印に封じられたのが今のハクオロと同じものであるのなら、空蝉のみならず、分身の記憶も持っている筈だが、しかし、彼はそのような事を思い出せなかった。それどころか、前大戦時以前の空蝉の記憶すら怪しかった。それもまた、彼が自分に、自らが本来のウィツァルネミテアとは異なる存在なのではないかと疑問を抱く一つの理由でもあったのだが。
「ラルマニオヌは、ギリヤギナ族の人の國でした。けれど、全員がギリヤギナ族ではありませんよね。そこで、その國の人たちは、國を治める手段として、徹底的な階級社会を作りました」
 サクヤは、淡々と話す。
「ギリヤギナ族の人以外でも、偉さに差を作ったんだそうです。それを幾つもの段階に分けることで、上から下までの支配を完成させたんだそうです。あたしは、そう聞きました。仕組みとしては、とても良く出来ていた、って」
 微笑んだまま、続ける。
「でも、それだけじゃ、ギリヤギナ族の以外の人は、結構不満とか覚えちゃうかも知れません。だから、『狩場』を作ったんだそうです」
 ハクオロの内心に、形容し難い、不快な予感が湧き上がる。
「最下層とされたシャクコポル族の人を、とりあえず、沢山捕まえるんだそうです。老若男女分け隔て無く。そして、適当な集落の廃墟とかを選んで、そこのまわりをぐるりと柵で囲っておいてから、その中に捕まえたシャクコポル族の人たちを『放す』んだそうです」
「……待ってくれ」
 だが、サクヤは、ハクオロの制止にも構わず、ただ、微笑んだまま話し続ける。
「わざわざ、食糧や、武器、種芋とかまで提供して……、それで、暫く、放置するんだそうです。もちろん、柵の周りではとても沢山の兵士の人が見張っていて、外には出しません」
「……サクヤ」
「中の人も、生きていかなきゃいけませんよね。だから、最初は警戒していても、そのうち、『日常』は戻って来ます」
 一息置いてから、言った。
「……そんな風に、中の人が緩んだ頃合を見計らって、適当な日を選んで、『狩り』の許可、を出すんだそうです。……好きな武器を持って、中に入っていい。中で、何をしても、いい。好きにして、いい。決まりは一つだけ。外に、『獲物』を持ち出さないこと。生きていようが、そうでなかろうが」
 サクヤは、あくまで感情を込めずに、それ(ヽヽ)を平然と話す。
「もちろん、中の人も抵抗します。武器だってあるから、反撃できます。そして、本当に返り討ちに出来たりもするんですが……、でも、そう言うところにわざわざ『狩り』に来る人って、『強い』人なんですよね。やっぱり、種族としての差、っていうのはどうしても、あって。人数に差もありますし。だから、殺されてしまったり……、捕まっちゃったりもします。男の人も、女の人も。大人も、子供も。それも、やっぱし『好きにして』いいんです」
 相変わらず、微笑んだまま話し続ける。
「……中に入るまでの気持ちにはならない人でも、見物するのは自由でした。だから、『狩り』の許可が出た日からは、周辺にはちょっとした見物人の人だかりも出来たりしたそうです。ちょっとした、お祭り、なんですね。食べ物屋の屋台なんかも出たりして。……『狩人』の人も、わざわざ、柵の側で、見物人に、何をやっているか見せつける、とかしたりもしたんだそうです」
 ある意味、その口調には、冷酷なものすら、感じさせられた。
「決して、いっぺんに、丸ごと『狩り尽し』たりはしないんだそうです。わざと、少しづつ、削っていく」
 否、むしろ、明るさすら感じさせる口調で。
「そうして、いつか、中に人が居なくなったら、また、捕まえてきた人をそこに『放す』」
 サクヤは、そこまで話すと、小さく息を吐いた。
「……奴隷以下の扱い、って聞いた事、ありませんか」
 ハクオロには、その言葉には覚えがあった。
「……つまり、そういうことなんです。奴隷ケナムにするには、力が弱くて、役に立たない。慰み者にしたりもするけれど、ひ弱だから、乱暴な事をすればすぐに弱ってしまう。……もちろん、そうされていた(ヽヽヽヽヽヽヽ)女の子とかは、一杯居たみたいですけれども。……ですが、他の種族の人でも、奴隷にされちゃったりも、してましたから。無理にでも、シャクコポル族の人だけに拘る必要は、無かった。……だから、奴隷としても価値が低いから、だったら、せめて殺し方で楽しめないか、工夫する」
「……」
「だから、奴隷以下、なんです。ヒト、じゃないんですよね。奴隷の人だって、ヒトですから」
 それから、静かに言った。
「まぁ、『狩場』を考案したのも、ラルマニオヌで家臣に取り立てられ、特別に一豪族としての立場が認められた、シャクコポル族の人だった、そうですけれどもね」
 サクヤが付け加えるように、あっさりと明かしたのは、どこまでも皮肉に満ちた現実だった。
 そして、そこまで話してから、サクヤは、僅かに遠くを見るような目をした。
「……その頃、戦が終わってから、大陸を旅していたおじいちゃんは、久しぶりに訪れたラルマニオヌで、そんな『狩場』の一つを見てしまった」
 ハクオロは、ゲンジマルが何を感じたか、大体想像がついた。
「激昂したおじいちゃんは、そこに居た兵士の人を、そして、『狩り』に参加していた人を、さらには、その周りで、見物していた人々まで、男女、全員、斬った。おじいちゃんは、ラルマニオヌ皇の、信頼篤い家臣だったというのに。そこに居たのは、かつて皆、おじいちゃんと一緒に戦った同志や、おじいちゃんが守ろうとした民だったというのに」
 義を重んじるエヴェンクルガ。その、エヴェンクルガが、味方を裏切ってまで、それを、やった。サクヤはそう言っているのだった。
「そして、おじいちゃんは……、『狩場』の中で、たった一人生き残っていた、おばあちゃんと、会ったんだそうです」
 ハクオロの中で、唐突に合点が行った。
 ゲンジマルと、ディーとの会話。
 ゲンジマルは、確か、言っていた。
 忘れられたか、このゲンジマルが契約を結んだ理由わけを、と。
 ハクオロは、やっと分かった気がした。誇り高きゲンジマルが、分身の眷族となることを自ら選んだ、そうまでして力を求めた、或いは、求めなければならなかった、その『理由』が。
「……ですから」
 サクヤは、静かに言った。
「ハクオロ様。ハクオロ様がやってらっしゃることが、それだけでも、シャクコポル族の人にとって、どれだけ凄い事になるか、お分かりになりますか」
「……」
「クーヤ様が、今ここに居れば、間違い無く、ハクオロ様にお礼を言っていると思います」
「……サクヤ」
「あたしは……」
 サクヤは、優しく言った。
「これだけでも、もう、十分、クーヤ様は、『罪』から、救われていると思います。ハクオロ様は、クーヤ様を、罪から救ってくださったと思っています」
 彼女は、微笑んだまま、そう言った。
 彼女は、何を、思っているのか。
 ハクオロは、サクヤの前で、暫くの間、黙っていることしか出来なかった。
「……嫌な事を、話させてしまったな」
「いえ」
「……ありががとう」
「……はい」
 サクヤは、やっと表情を崩し、笑った。
「……ですから。ハクオロ様が、ハクオロ様のなさってることを罪滅ぼしと言うのなら、もう、十分すぎるほどの、罪滅ぼし、なんですよ」
 爽やかな夜風が吹いた。
「……ああ」
 ハクオロも、少しだけ笑った。
 仮に、それが気休めだとしても、そう言ってくれたことが、確かにハクオロにとっては有難いことだった。
 そして、それを言ってくれたのが、他ならぬサクヤだった、ということが、同時にハクオロにとっては耐え難きことだった。
「……だから、おじいちゃんも、きっとハクオロ様にお礼を言うと思います。もちろん、あたしも」
「……いや」
 ハクオロは、首を振った。
「それでも、私は、サクヤから感謝の言葉を受けるには、値しない」
「……ハクオロ様?」
「サクヤがそう言ってくれるのなら、確かに、私は、それなりのことが出来たのかもしれない。クーヤを、罪から救えたのかも知れない……。でも、それは、サクヤや、ゲンジマルに対して胸を張れる話かどうかは、また、別の事だ」
「……何故、ですか」
 ハクオロは、サクヤを見つめた。
「……私は、その罪滅ぼしの為に、ゲンジマルの信頼を、裏切ってしまった」
「え?」
「ゲンジマルは、私を信頼したからこそ、サクヤを私に託した筈だ」
「……」
 ハクオロは思い出す。偶然垣間見た、ゲンジマルとサクヤの会話を。この先のことなら心配いらない。きっと、皇が大切にしてくださるはずだ。その台詞は、ゲンジマルが完全にハクオロを信頼しているからこそのものだった筈だった。サクヤ、幸せにな。そう述べたゲンジマルは、まさに一人の祖父として、ハクオロに最愛の孫娘を託していったのである。
「なのに、私は、サクヤを犠牲にしてしまった。私が罪滅ぼしを行う為、その為だけに」
「ハクオロ様……」
 それは、開拓入植地が設置されてから、暫く後のことだった。
 都で、ちょっとした小競り合いが起こった。理由はどうということのないものだった。ただ、いつもと事情が違ったのは、酒場で、口論の末、相手に獣肉と菜の熱い鍋を浴びせかけて軽い火傷を負わせ、そのまま逃走したシャクコポル族のある若者の喧嘩相手が、とあるトゥスクル内有力豪族の一員だったということだけだった。その豪族は、トゥスクル内でも血の気が多く、しばしばトラブルを起こしていることで知られていた。一族全体が侮辱されたと感じたその豪族の長は、私兵を率いて、その若者が逃げ込んだ歓楽街の一角を包囲した。本来、都で騒乱を起こすなど、それだけでも厳罰に問われる行為である。だが、その長は、その場で声高に主張した。今日、都には皇の温情を良い事に、多くの穴人が跋扈している。皇に代わって穴人を罰し、見せしめとすることは、皇に仕える豪族の義務である。
 だが、その若者が逃げ込んだ料亭の女主人は、皇から直々に派遣された官吏にでなければ引き渡せない、とのらりくらりヽヽヽヽヽヽと長の剣幕を躱し、その要求に従おうとはしなかった。ハクオロ皇とも面識があり、その料亭周辺区画の管理も任されていたカムチャタールという名のその女将の言い分は、確かに正当なものではあった。トゥスクルにおいては、遊里を含む歓楽街一帯、その全てはハクオロ皇の直轄とされていた。その政策はかなり徹底されたものであり、警備にあたる兵すら、皇都の一般地域の兵とは別組織とされ、その自治を侵す事は、皇城を侵す事と同義とされていた。
 その一角に店を構えていたその女主人は、その定めをもってして、長の要求を拒否していたのだった。故に、その長も、流石に、無理に店内に踏み入る事は出来なかった。そして、付け加えるようにその女主人は言った。穴人ヽヽ穴人ヽヽといいはりますが、ウチの店にも、シャクコポルの子がおりますぇ。あちし(ヽヽヽ)の可愛い妹達に、そないことをいいはるようなお方には、なおさら、あのお客人をお渡しは出来ませぬわいな。
 事態を遠巻きに眺めていた住人の中には、その長を同情的な目で見る者も多かった。勿論、遠慮も無しに都に入ってくるシャクコポル族を快く思っていない者は数多く居たが、そこにはもっと直接的な、単純な理由があった。その長の、将来的には一族を率いる事が期待されていた、トゥスクルでも名が知れていた自慢の一人息子は、かつてトゥスクルに踏み込んできたアヴ・カムゥの一撃により上半身を吹き飛ばされ、臓腑と肉片を散らされていた。そういうことだった。
 睨み合いが続く中、その場に急行したベナウィ、クロウ達が説得に当たったが、長は頑として退こうとはしなかった。私が罰せられても一向に構わない。ただ、ここで正義を示す事こそ、臣の務めである。ただそう繰り返すのみだった。ベナウィ達も強く出ることはできなかった。無理矢理排除すれば、トゥスクルの民の、ハクオロ皇への忠誠に悪影響を与えかねないからだった。トゥスクルの皇は、決して一方に『肩入れ』してはならない。ただでさえ、ハクオロは開拓入植地建設その他の件から、シャクコポル族に対して甘過ぎると見られていた。そうこうしているうちに、若者を救わんと、周囲からシャクコポル族も駆けつけて来ていた。勿論、競り合いになれば不利になる。それでも、仲間を見捨てる事は出来ない。豪族達と対峙しつつ、彼ら、シャクコポル族の一団はそう決意していた。
 長は言う。後、一刻だけは待つ。その後、我々は一族全員が罰せられる覚悟を持って、店に踏み入り、かの穴人を罰する。仲間の穴人がそれを食い止めようとするのなら、その者共もまとめて罰する。
 もはや、時間は無かった。
 その時だった。
 ハクオロが、現れた。
 騎上のハクオロは、豪族の長と、シャクコポル族の一団の代表、双方から話を聞き、どちらの主張も尤もである、と述べた。
 そして、刑吏に命じ、女主人も同意の下、かのシャクコポル族の若者を路上に引き出した。
 民にとって貴重な憩いの場である酒場で、相手に暴行を働くことは間違い無く罪科である。都で騒乱を起こす事もまた罪に問われるべきことであるが、この國の律令を乱したものを誅しようというその忠誠自体は、賞賛に値するものである。ハクオロはそう述べた上で、本来、この若者は律に基き、詮議の上裁かれるべきであるが、律が公平に運用されていることを示す為、この場で若者を罰する、と述べた。
 そして、その場で、若者に対して、笞刑として20回の鞭打ちが行われた。
 さらに、ハクオロは述べた。
 この國の民は、皆、等しく律令に従う義務があり、そして、律令を犯した者は、平等に裁かれる。豪族の長に対しては、さらにこう付け加えた。
 貴公の一族の忠誠は、私も決して疑わぬものである。貴公の子息が、我が國(トゥスクル)を、そして、(オゥルオ)を守る為に見せた武人としての誠忠は、まさに我が國の誉れであり、私は忘れない。
 その言葉を、無表情で聞いていた長は、暫くして震え始め、そして号泣したのだった。そのまま長は騎馬ウォプタルから転げ降り、何度も土下座し、都で騒ぎを起こしたことを涙ながらに謝罪したのだった。
 それだけなら、あるいは、民の目にはハクオロはあくまで在来の民を重んじているように目に映ったかもしれない。所詮、言葉で述べたことには限界がある。これだけでは、結果として在来の民はシャクコポル族への蔑視を強め、またシャクコポル族も在来住民や、トゥスクルそのものへの反感を強め、さらに事態が悪化する可能性もあった。そして、それは、この場で放置してしまえば、二度と取り返しがつかなくなる可能性が極めて高かった。
 しかし、その場に居た在来住民、豪族、そしてシャクコポル族、皆が、ハクオロに付き従った、貴人用馬車の中の人影を見ていた。
 その人影は、少女のものであり、そのほっそりと尖った耳は、シャクコポル族のものであることを示していた。
 誰かが、そうか、あの(かた)が、と言った。
 ハクオロは、シャクコポル族であっても、罪を犯した者は公平に罰してみせることを示した上で、戦の怨恨や、『穴人』への蔑視意識から、シャクコポル族を下等な存在として扱う事は禁ずる、と無言で宣言したのだった。つまり、シャクコポル族もまた、等しき民である、と宣じたのである。
 皇の室、即ち側室に、シャクコポル族の娘が居るという事実を示すことで。
 かつて、ゲンジマルがハクオロに、サクヤを『末室』に入れるよう願い出たのは、朝堂、即ち公の場での出来事だった。そして、ハクオロはそれを了承した。故に、公式には、サクヤはハクオロの『室』だった。好色皇ことハクオロ皇の周囲を固める女性は、軒並みハクオロ皇の愛妾である、というような噂は、民の間では実しやかに語られてはいたが、それらはあくまで噂でしかない話だった。つまり、公式にトゥスクルにおけるハクオロ皇の『室』は、(懐妊判明後、血統的担保の為に、室であったと記録が書き換えられたユズハ以外では)サクヤただ一人だった。
 ただ、いくらそれが公の事だとしても、それが民に真実として受け入れられているかどうかは別の話だった。例えば、民の間では、かのトゥスクル様のご長女が、婚礼こそ挙げてはいないものの、事実上のハクオロ皇の正妻、お后みたいなものらしい、などと語られていたが、このような、それなりの真実を把握した噂は、エルルゥが以前から朝堂だけでなく、都や、戦場等、様々な場所でハクオロと行動を共にしており、これが下級兵士や住民など、多くの人々に目撃されているからこそだった。(オンカミヤムカイをしばしば抜け出してトゥスクルにやってくるカミュや、ハクオロの『帰還』判明後、早々にトゥスクルに戻って来たカルラ、トウカに関して何らかの噂が立つのも、つまりはそういうことだった。)
 いくら公式には側室とされているとはいえ、一度も民の前どころか、朝堂にすら姿を現すことがないサクヤは、民にとっては存在していないも同然だった。
 そして、ハクオロはそれで良いと考えていた。
 クンネカムン戦役が終了した以上、サクヤは十二分に身代としての努めを果たした。ほとぼりが冷めたら、望むなら、自由にしてやりたい。それこそ、皇城以外の場所でクーヤと共に静かに暮らしたいとまで言ったとしても、それを叶えてやりたい。うまくやれば、皇の側室である、或いは、であった、という事実も空文化させてしまえるだろう。
 そう考えていたからこそ、ハクオロは、サクヤと関係を持ったことは無かった。『帰還』後、ハクオロは取り巻きの女性達と、場合によっては半ば押し倒されるようにして再び関係を持ってしまっては居たが、その中で、公式には側室である娘とは関係を持っていないというのは、ある意味喜劇的な情景でもあった。
 だが、ハクオロが、シャクコポル族に関する対立問題の緊急的解決手段として、サクヤを純粋な道具として用いてしまったことで、そのような目論見の実現は完全に不可能となってしまっていた。
 ハクオロの側室、サクヤ。その存在、その姿は、民にとっての真実として受け止められた。トゥスクルにおける、シャクコポル族問題の政治的破断界、致命的事態への発展を回避する代償として、ハクオロはかの少女を表舞台に引きずり出してしまったのだった。
 シャクコポル族に対する、多くの住民の意識は変わるだろう。ハクオロ皇が認めた室である、ということで、サクヤへの忠誠を誓う住民も出てくることだろう。そもそも、皇がある種族の女性を側室に迎える、ということは、その種族そのものが皇にとって認められた、という意味を持つ。理由は言うまでも無かった。種族自体は、母系遺伝が極めて強く伝わるものであるからである。つまり、皇がその側室との間に子を為し、その種族の特性を持った者を藩屏に列するに値すると見做したことを意味するからであった。無論、場合によっては、その種族が皇の位そのものを継承する価値をも認められた、ということでもあった。
 しかし、國土を荒らし、親しき者を殺し、尚かつ異教を奉じる蔑視対象の異民族への複雑な感情が、トゥスクル全既存住民から、即座に、完全に消滅することはありえない。愛すべきハクオロ皇を篭絡した、淫らな穴人の娘。そういう方向で、憎しみを持ってサクヤを見つめる輩は男女問わず、必ず出てくることだろう。場合によっては、ハクオロを『惑わす』サクヤを誅する、即ち暗殺することを目論む者すら出てくるかも知れなかった。
 それこそ、その存在が世に広く知られててしまってからは、改めて、名目上オンカミヤムカイから、ハクオロの元に『虜囚』として預けられたという形にされたクーヤよりも、ある意味ではよほど厄介で、危険な立場だと言えた。
 結局のところ、今後、ハクオロがサクヤを一切表に出さなくても、民にとって、ハクオロの室としての彼女の存在は、決して消え失せないものとなってしまったのである。
 ハクオロは、その事を言っているのだった。
 だが、そんなハクオロの前で、サクヤは静かに笑った。
「あたしは……」
 明るい声で続ける。
「嬉しかったのですよ」
「……サクヤ」
「あたしは……、クーヤ様と、そして、ハクオロ様のお役に立つ為に、ここに来たんですから」
「しかし」
「あの日」
 何か喋ろうとしたハクオロの言葉を遮って、サクヤは語り始めた。
「あの日、ハクオロ様はあたしの部屋に入ってきて、とても済まなそうに、力が要る、協力してくれないか、って言いましたよね。だから、一体何なんだろうって思ったんですよ。でも、ハクオロ様のお話を聞いて、本当は、ちょっと怖かったんですけど、それ以上に、とってもわくわくして」
「わくわく?」
「はい」
 サクヤは楽しそうに頷いた。
「あたしは、静かにクーヤ様に御仕えさせて頂ける、それだけで本当に幸せで、感謝していたんです。ハクオロ様も、いつも、気にかけてくださいましたし。でも、あたしがいくら感謝しても、ハクオロ様や、皆さんの為にお役に立って、恩返しする事もあまり出来なくて、その事が残念で仕方が無かったんです。もちろん、ハクオロ様や、皆さんは気にすることはないって言ってくれますけど、やっぱし、あたしの気持ちとしては、それじゃあ済まない所があって」
「……」
「いえ、そうじゃなくて……。というか、あたしは……、ハクオロ様が、あたしをここに受け入れてくれた、その日から、ずっと感謝していました」
 サクヤは、 自らの胸に右手を当てる。
「あたしが……、あたし自身の意思で、ここに来たからこそ、受け入れてくれた、ということを。あくまで、あたしの気持ちを真剣に聞こうとして、その上で、それに応えてくれた、ということを」
 そして、笑う。
「そんな中で、ハクオロ様からあのお話を聞きましたから、本当にわくわくしたんです。それは、クーヤ様の、クンネカムンの人々を助ける事で、しかも、ハクオロ様のお役にも立てる仕事で。その上、あたしにしか出来ない仕事だ、ってハクオロ様が言ってくれるじゃないですか」
 サクヤは、その日を思い出すように、懐かしむように、続ける。
「ハクオロ様、言いましたよね。或いは暴動になってしまうかも知れない、でも、その時は私がサクヤを抱いて逃げる、必ずサクヤだけは助けるから、心配するな、って」
「……そう、だったかな」
「とてもカッコ良かったんですよ。そう言ってくれる、ハクオロ様が」
「……そうか」
 そして、サクヤは真顔になり、ハクオロを見つめた。
「だから、お願いします。犠牲だなんて、言わないでください。そんなことを、思わないでください」
「……」
「あたしは……、望んで、ここに来て、ここで、ハクオロ様のお役に立ちたいと、願っているんですから」
 祈るような口調で、続ける。
「どうか、それで、ハクオロ様が辛いと思ったり、ご自分を責めたりしないで、ください」
 泣き顔になる。
「お願い、ですから……」
 少女の真摯な言葉に、ハクオロは、只一言、謝罪することしか出来ない。
「……すまなかった」
「……はい」
 サクヤは涙を拭い、笑って頷く。
「……だいぶ、話し込んでしまったな」
 ハクオロは、優しく言った。
「私はそろそろ戻ろうかと思う。サクヤは?」
「あ、ハイ、あたしも」
「そうか」
 サクヤは、そこで俯く。
「……あの」
「うん?」
「あ、いえっ、なんでもないですよ」
 顔を妙に赤らめながら、手をぶんぶんと振る。
「うん、そうか」
 そして、ハクオロはサクヤの足をちらりと見て、言う。
「じゃあ、サクヤの部屋まで送ってやるとしようか」
「えっ?」
 ハクオロは、サクヤをひょいと抱き上げた。
「わ、わぁっ……」
「大丈夫か?」
「あ、いいぇ、いや、はい」
「そうか」
「でも……、申し訳無いですよう。送ってくださるなら、肩を貸して頂けるだけでも、十分ですから」
 サクヤは、わたわたと慌てながら、そう言う。
「気にするな」
「……はい」
「しっかり、掴まってろよ」
 そう言われて、サクヤは、おずおずと、手を伸ばす。
「あ……」
「どうした?」
「月が……」
 サクヤは、抱き上げられたまま、上を見上げた。
 彼らの頭上には、煌々と輝く満月。
「こんな風に、お月様を見てると、何だか妙な感じがします」
「そうか?」
「おじいちゃんと」
 サクヤは、懐かしむように言う。
「逃げてきた時も、あたしは、こんな風にお月様を見ていました」
 ハクオロも、月を見上げる。
「そう、だったか……」
 ハクオロは思い出す。
 ゲンジマルは、あの晩、動けないサクヤを抱きかかえて、トゥスクルまでやってきたのだった。
「全速力で駆けるおじいちゃんの腕の中で、あたしは……ただ、揺れる月を見上げて、これから、どうなるんだろう……、って、考えてました」
「……」
「だから、こんな今があることが、クーヤ様が、平穏でいられて、あたしも、こうしていられる今があることが、本当に嬉しくて」
「……よかったな、サクヤ」
「……はい」
「じゃあ、行くぞ」
 だが、歩き出そうとするハクオロを押し止めるかのように、サクヤはぽつりと言った。
「……ハクオロ様」
「うん?」
「ハクオロ様と一緒に、都に出たあの時……、あたしは、別の意味でも、嬉しかったんですよ」
「別の意味?」
「ああ、あたしは、この『立場』なんだなぁ、って」
 ハクオロは、無言で歩き出した。サクヤが何を言おうとしているのか、ハクオロにも分かっていた。分かっていたからこそ、『帰還』後、これまで、ハクオロはサクヤに深く関わろうとはしなかった。だからこそ、ハクオロにとっては、これは、これ以上会話をすべきでことはなかった。
「……あたしは」
 ハクオロは、立ち止まった。
「私は、サクヤを、ゲンジマルから託された。だから、サクヤの今後、サクヤの人生について、私はきちんと考える義務がある」
「あたしがここに来てすぐに、ハクオロ様は、おっしゃいましたよね。ここの者は、皆、家族みたいなものだ、と。だから、サクヤもそう考えていてくれ、と。自分の家だと、思っていてくれ、と」
「……」
「あたしの居場所は、ここ(ヽヽ)です」
 サクヤは、静かに言った。
「ここが、居場所なんです。あの日も、あの日の後も、あたしの、あたしとしての意思を、ちゃんと聞こうとしてくれた、ハクオロ様が居る、ここが」
 そこまで言ってから、小さく笑って付け足す。
「……ただ、一番肝心な所だけは、聞こうとはしてくれませんでしたけれどもね」
「……サクヤ」
「ハクオロ様が、戦いに出られて。そのまま、お帰りにならなくて。ウルトリィ様や、ベナウィさんや、エルルゥさん……。皆さんは、大封印、とか仰ってましたけど、あたしは……、そのときに、そこに居る事も出来なかったし、何も見ていないし、見せて貰っても居ませんから、納得も、できなくて。本当は、ハクオロ様がいらっしゃるという、そこに、行って見たかったんですけど、クーヤ様を、置いてはいけませんし、……大体、あたしはこんな体ですし」
「……」
「……貴方を」
 サクヤは、ハクオロの顔を、見つめた。
 少女の鼓動を、感じる。
 そしてサクヤは、優しく微笑みながら、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、責めるように、言った。
「貴方を、ずっと待っていたのは、一人だけじゃ、ないんですよ?」
 ―――どうか、このサクヤに御寵愛を。
「……サクヤ」
「はい」
「……それで、いいのか」
 それは、いつか、ハクオロが問い掛けた言葉だった。
 サクヤは、微笑んだ。
「……それが(ヽヽヽ)いい(ヽヽ)のですよ」
 ハクオロは、再び歩き始めた。但し、別の方向に。

「……思い出します」
「何をだ?」
「初めて、この部屋に来た時のことを」
「……ああ」
 ハクオロは、サクヤを横たえながら、笑う。
「サクヤは、随分と慌てていたな」
「笑いこっちゃないですよぅ」
「しかし、あれはな」
「本当に、命の危険だったんですから」
「……そういえば、髪、短いままなんだな」
「あ、はい……、なんだか、楽で」
「そうか。……サクヤらしいな」
「なんか、微妙に酷い事、言われている気がするんですが……」
「そんなこと、ないぞ」
 サクヤの髪をさわ、と撫で、指で梳き、さらに耳飾にも、触れる。
「あっ……」
「とても、可愛い」
「……ありがとう、ございます」
 照れたような声で、サクヤは小さく言った。
 サクヤの髪を触れたその手を、そのまま下に滑らせる。小ぶりな二つのふくらみを、青磁色の服の上から軽く、押し撫でると、サクヤは、僅かに体を捩じらせた。ハクオロは、掌に残った弾力のある硬めの感触と、サクヤの反応を愛らしく思いながら、彼女の細い腰に巻かれた帯に手をやった。
「……あの日、どんな人だろうと思ってたんですよ、ハクオロ様が」
 ゆっくりと、厚地の布で出来た帯を解く。
「どうしてだ?」
「クーヤ様、ハクオロ様の事を、随分とお気に入りだったので」
「……そうか」
「あー、この人なんだ、って」
「……そういえば、なんとも微妙な反応をしていたな、サクヤは」
「で、ちょっと良いな、って思っちゃったりも、したんですよ。……室に、とかいきなり言われちゃった時は、びっくりしましたけども」
「はは、それは、そうだろうな」
 ハクオロは、サクヤの帯を解いてから、胸元の留め紐に手をやった。
「これは……、引っ張れば、いいのか?」
「あ、はい」
「こういう形の服には馴染みが無いので、少し戸惑ってしまう」
「……あ、すみません」
 サクヤが、顔を赤らめながら、言う。
「いや、謝る事じゃないんだが。……だが、綺麗な生地だな」
 ハクオロは、紐を引きながら、そう言った。
「……クンネカムンの人は、この布を、自慢にしていました」
 サクヤは、言った。
「クーヤ様のお召し物に使うような最上級品のケッチャ織りとかは、外から買ったりもしていたんですが。織物、染物は、結構特産だったんです」
「……ああ、らしいな。見事なものだ」
 ハクオロも、その事実は知っていた。それ故に、西方諸國が、そういった旧クンネカムンの産業拠点を確保する事に、血眼になっていたことも。
 紐が解け、胸元がひらけ、下着らしき白布が露になる。
 ハクオロがそこに手をやると、サクヤは一瞬だけ躰を強張らせたが、そのまま、それを、愛撫を、受け入れる。ハクオロは、そのままさらに下に、服をひらいていく。サクヤの、白い太腿が露になった。ハクオロは、そこにも手を這わせたが、やはり、サクヤはそのままそれを受け入れた。
 そして、サクヤは、そんなハクオロの姿を見つめつつ、言った。
「……クーヤ様、あの日の後も、いつも、ハクオロ様のお話ばっかするんです。……あたしが、ハクオロ様に嫉妬してしまうぐらいに」
「……」
「お気づき、でしたよね?」
「……ああ」
 サクヤは、ハクオロの顔に手を添えながら笑って、少しだけおどけたような、それでいて、悲しみの混じった声で、言った。
「……だから、なんだか、クーヤ様に、ちょっとだけ申し訳無いです。抜け駆け、みたいで」
 ハクオロは、それには答えず、ただ、サクヤの唇を優しく奪った。
 サクヤは、僅かに驚いたような顔をしたが、やがて、そのままゆっくりと目を閉じ、それを受け入れた。
 
 遠くで、鈴虫の声が聞こえる。
「……ハクオロ様」
「うん?」
 ハクオロは、傍らに寝ているサクヤに目を向けた。
 サクヤは、ハクオロに、躰を寄せた。
 その体温が、伝わってくる。
「ハクオロ様」
 サクヤは、もう一度言った。
 ハクオロは、返事の代わりに、サクヤの頭をふわ、と一回撫でる。
「あ……」
 サクヤは、嬉しそうに目を細める。
「どうした」
 サクヤは、何かを逡巡するかのように黙っていたが、やがて言った。
「……聞いて、頂きたいことが、あるんです」
 ハクオロは、サクヤの背中に軽く手をまわした。
「言いたいことがあるんなら、聞くぞ。遠慮することは、ない」
「……はい」
 サクヤは、小さく頷いた。
 そして、安らいでいながらも、真摯さのこもった口調で、言った。
「……『狩場』のことを、ハクオロ様に知って頂いてしまった以上、あたしは、もう一つ、ハクオロ様にお話しなければいけないことがあります。……本当は、お話すべきことじゃ、ないかも知れないんですが」
「……どういうことだ」
「このままだと、不公平、というか」
「……?」
「シャクコポル族の、人のことなんですけどね」
 サクヤは、そこで暫く時間を置く。
「シャクコポル族の人は、先ほどお話したような、扱いを受けていました。……でも、そんな扱いを受けたのも、それなりの経緯、理由があってのことでも、あるんです」
「……理由?」
「シャクコポル族の人は、歴史として、大いなる父の庇護の下に全ての種族が居た時代に、シャクコポル族を含め、ただ、幸せだった、と学んでいます。シャクコポル族が、特に、大いなる父の寵愛を受けた、とも学んだりもしますが」
 ハクオロは、思い出す。クーヤも、そんなことを、言っていた。
「だけど……、あたしは、大老(タゥロ)……、おじいちゃんから、聞いていました。それだけじゃ、なかった、って。シャクコポル族の人は、大いなる父の寵愛を良い事に、他の種族を、奴隷として扱っていた、って」
 話の意外な展開に、ハクオロは、戸惑いを覚える。
「大いなる父の僕、『忠実なる者』として、大いなる父の命じるままに、他の種族を奴隷……、いいえ、奴隷以下のものとして、支配していたんです。支配するための道具として、大いなる父の力の一部を授かって。それこそ、他種族の命を、命とも思わずに」
「……アヴ・カムゥか」
「……わかりません」
 サクヤは、首を振った。
「ただ、『含まれて』いたかもしれません。それ、も。……『忠実なる者クンネイェタイ』、って、そもそもは、大いなる父の下で、その意思に従い、『忠実に道具を使う者(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)』って意味だったんだそうです。大いなる父に、一番近いヒトとして」
 ハクオロは、サクヤが何を言っているのか理解した。
 研究者たちは、自分達のが、実験を行ったり、あるいは、生活活動を行うための補助として使う為の人員を、その足りない部分を、シャクコポル族を使役することで補っていたということなのだろう。
 忠実な部下として、同じ空間で働かせ、また、実験装置等を扱わせるのなら、超人的な力や、妖しげな術を使えるような精神力は、不必要。それこそ逆に、かえって、危なっかしい。
 だから、肉体的には、自分達に一番近い種族を、言い換えれば、アイスマンの遺伝子を組み込みながらも、ベースはあくまで旧人類に極めて近い、言わば『デチューン』されたものとし、そこから手を加えるのは最低限、見分けをつけるための、外見ウサギの耳のみにする種族を別に作り出し、それを、直接の部下として運用した。……或いは、それ以外の目的で、でも。
 そういえば、と思う。
 今しがたの行為の過程に於いて、サクヤは出血していた。この世界の女性がそのようになるのを、少なくともハクオロは見たことが無かった。思い出すのは、かつて、歓楽街の整備建築に関する指導をしていた時に、何名かの顔役から聞いた下品な噂だった。彼らは言っていた。曰く、シャクコポルの娘は『面倒』だ、と。その時は気にもとめていなかったが、その示唆する意味をハクオロは意図せずして知ったのだった。無論、それは単なる偶然かも知れなかったが、或いは、それもまた、シャクコポル族以外の女性が『改良』された種だったから、かも知れなかった。理由を想像できなくも無い。効率良く繁殖実験等を行う為には、行為に際して、女性に不要な痛みなど感じさせないよう、デザインしておいた方が良いに決まっているからだった。
 63号(ムツミ)は、アイスマンに一番近い複製体レプリカだった訳だが、ある意味で、それと真逆の種族を作った、そういうことなのかも知れなかった。
 さらに、そこから考えを広げれば、サクヤが今言った、命を命と思わぬ『奴隷以下』の扱い、がどういう事かも推測できた。
 つまり、シャクコポル族は、研究者達の指示の下、他種族を実験動物として『使用』し続けていたのだ。
「……そして、他の種族の人が解放されてからも、大いなる父の下に居つづけたシャクコポル族は、解放者(ウィツァルネミテア)に大いなる父を滅ぼされてしまいました。それでも、シャクコポル族は、大いなる父の居た、『桃源郷』に留まろうとしました。ですが、結局それも叶わず、とうとう、その、『桃源郷』……、『穴蔵』から出てこなければならなくなりました」
「……」
「そのとき、シャクコポル族の人がやったことは、『穴蔵』から、いくつかの武器を持ち出して、他の種族をもう一度、奴隷にしようとすること。……アヴ・カムゥも、持ち出した中に、あったのかもしれません。……本当は、ただ、外に出て、協力と友好を求める事も出来たかも知れないのに。互いに憎しみがあっても、まだ、和解を申し出る事も、出来たかも知れないのに」
 それから、サクヤは静かに言った。
「そして、失敗してしまった」
「……そう、か」
 新人類たる亜人達は既に、新たな社会を構築し始めていた。そこに現れた、『大いなる父』の威を借る侵略者。
 新人類でありながら、他の新人類を実験動物として扱って来た者達。
 アヴ・カムゥを多数所有しながらも最終的には敗北してしまったクンネカムンのように、その時のシャクコポル族もまた、他族全てを敵に回し、多大な犠牲を出し、結局は敗れてしまったのだろう。……それに、恐らくは、他種族の側には、父の願いを叶える為だけに『始まりの國(オンカミヤムカイ)』の礎を築こうとしていた、ムツミが居た筈だ。
 サクヤは、寂しそうに笑った。
「……こんな話は、今では、殆ど誰も覚えていないことです。シャクコポル族の人も、他の種族の人も。ただ、それでも、どこまでも、どこまでも大いなる父を信じて、その力を使って、他の諸族を再び支配して、奴隷にしようとしたシャクコポル族、穴蔵から出て来た『穴人』への、憎しみだけが、残った」
「……」
「どっちが悪い、とかじゃないんです」
 サクヤは続けた。
「ただ、悲しい話は、色んなところに、あったんです」
「……何故、サクヤは、それを知っている?」
「あたしは……、おじいちゃんから、クーヤ様に『真史』を伝える者が居なかった場合に、それを行うという務めを託されていました」
「……」
「おじいちゃんや……、クンネカムン先皇は、この事を知っていました。そして……、『狩場』の話や、この『真史』は、クーヤ様が、歴史の重みに、耐えられるようになってから、伝える、ということになっていました。それが、先皇のご意向でした。あたしは……、万一、おじいちゃんが、クーヤ様がそこまで成長した時に、健在じゃなかった場合に、それらを伝える仕事の、代行をする役割を任されていたんです」
 そこまで言ってから、サクヤは、ハクオロを見つめ、笑った。
「でも、もう、あたしは、それをするつもりはありません。『クンネカムン皇』なんて、もう、この世には、居ないんですから」
 そして、サクヤは、続けて言った。
「こんな、悲しい話は、ここで、全部、終わりじゃなきゃいけないんです」
 ああ、そうか。
 ハクオロは理解した。
 この少女は、クンネカムンを、自らの手で完全に滅ぼすつもりなのだ。
 或いは、クンネカムンを含めた、これまで全てのシャクコポル族のなりたち、そのものを。
 ただ、クーヤを、護る為に。
 皇が國であるのと同様に、歴史もまた、それ自体が國である。
 歴史が残っていれば、國というのものは、きわめてしぶとく蘇ったりもする。
 たとえ、國の外見が変わったとしても、歴史から完全に自由な國など、在り得ない。
 それが『國』という枠組みを失ってすらも、その『まとまり』は、歴史に支えられたものであり続ける。
 だからこそ、歴史は、文化そのものであり、人そのものである。
 だからこそ、それを、破壊することは、人類そのものへの大罪となる。
 サクヤは、恐らくは、シャクコポル族が、苦難の中にあっても、世代を超えて必死に維持してきた一つの歴史、その真実を、自らの判断で、全ての責を負って、闇に葬ろうとしていた。
 その華奢な体に、耐え切れぬ程の重みを抱いたまま、地獄ディネボクシリに向かおうとしていた。堕ちようと、沈もうとしていた。
 ……そう、全部持って行く(ヽヽヽヽヽヽヽ)積りなのだ、この()は。
 それは、間違ったことなのだろう。
 それらの悲劇は、シャクコポル族が、種族として生きていくための、その指導者にとっての掛け替えの無い、学ぶべき知識なのだろう。生きていくための、財産となるものなのだろう。
 だが、クーヤを、皇の座から完全に解放する為には、クンネカムンそのものすら意味するそれを、残す訳には行かないのだ。
 ただ、傍らで、ハクオロの前腕に頭を預け、優しく微笑んでいるサクヤ。
 ふと、ハクオロは、サクヤの瞳、その澄んだ虚空の中に、一つの幻影を見た気がした。
 ハクオロは、広場に、立っている。
 周囲は、ひたすら、シャクコポル族の、死体、死体、死体。
 そこは、見渡す限りの、死体。
 それは、いつか、ゲンジマルが見たであろう、出会ったであろう、風景。
 若者も、年寄りも居た。男も、女も居た。弄ばれた末に殺されたと一目で分かる、年端も行かない子供の姿もあった。
 そして、その、血の海の中央に、ただ一人座っている、サクヤ。
 ただ、微笑み、こちらを見ている。
 血飛沫でその顔も、服も汚れてしまっているのに、表情は、そのままで。
 全てを知り、見て、なおかつ、全てを受け入れている、その微笑。
 思わず、ハクオロはサクヤを強く抱き締めた。サクヤが、甘い呻きを漏らす。
「……そうだな」
 ハクオロは、サクヤの背中に回していた手に力を込めながら、言った。
「……悲しい話は、ここで、お終いだ。……お前と私が、終わらせる、からな」
「あっ……」
 サクヤが、何かに気づかされたような声を出す。
 ハクオロは、自らもまた、その歴史を知った同志として、その責を共に担う意思を述べたのだった。
「ありがとう、ございます……」
 サクヤは、静かに泣き始めた。
 最初は嗚咽し、そのうち、しがみついて、小さく声を上げて、泣く。
 それは、ハクオロの前で、少女が初めて見せた姿だった。
「いいんだ」
 ハクオロは、泣き震えるサクヤの背中を慰撫しながら、言った。
「ここは、トゥスクルで……、サクヤは、私の、家族なのだからな」
「……はい」
 サクヤは、涙で顔を濡らしたまま、泣き笑って、頷いた。
 月影が、ただ、その姿を優しく映し出していた。









(『サクヤ――トゥスクル戦後』篇(第一章及び第二章)終了)

(第三章に続く。掲載時期未定)