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(一方的)代弁者のままでいることと、当事者となることと

政治

Opinion : 弱者は強者 ? (2006/11/27)
http://www.kojii.net/opinion/col061127.html

ただ、だからといって「弱者」がすべて、このメソッドに乗っかっているわけではないのが難しいところ。中には、本当に保護しなければならない弱者もいるわけだから、弱者というポジションを利用している人のせいで本物の弱者が迷惑するのも、それはそれで困る。

「弱者という立場を利用してボコ殴り」かどうかを識別する手がかりは、マスコミなどにガンガン露出して自らの弱者ぶりを強くアピールする一方で、大声を上げて相手を罵倒しているかどうかかな、と考えてみた。つまり、「露出が多くて目立ち、かつ声のでかい弱者」は注意してみた方がいいのではないか、ということ。本当の弱者は、えてして大声を上げる力すらなかったりするものだから。

 本当に弱き者は、声すら上げられない。

 
 以前、2chのどこかで見かけた、とある、障害者と名乗る方のカキコを思い出しました。
 その方は、その方面のある障害者団体に属しているが、その内部も、色々微妙だったりする、と。
 声の大きな一部の人、それこそ、その団体の中ではいわば「マシ」な人に組織が牛耳られて、本当に支援が必要な弱者が声をあげられなくなっている、と。別に大多数ははのべつ幕無しに政府を批判したいんじゃない、と。政治運動も望んではいない。ただ、必要な支援を得たいだけなのだ、と。

 そして、結局その方は、団体とは距離を置いている、とのことでした。
 
 無論、ある団体の場合、の話でしたが。




 さて、上記URL記事内のアメリカの件なのですが。

 
 ある意味で、特に日本の場合、アメリカやら日本政府やらを叩いているような人々は、『弱者』であろうとすると同時に、『弱者の代弁者』を意識している、とも見ることも出来るかと思います。アメリカの圧政に苦しむ世界の人々は可哀想だ。アメリカと結託している小泉-安倍政権による圧政に苦しんでいる日本国内の人々もかわいそうだ。アメリカの陰謀に我々は立ち向かって行かなければならない! そんな感じで。
 少なくとも、日常生活では(どこぞの地域の諸外国に感情移入でもしていない限りは)「くそっ! アメリカめっ!」(アニメ風に)とか口走るような事態ってまず無い訳ですから。あ、日米野球とかは別にして。
 まぁ、何にせよ、兎に角、各種運動に熱心だったりするそれらの活動的な人々は、弱き者である、或いは弱き者の気持ちを代弁している、という「武器」を手に携えた立派な「つよいひと」となる。カッコイイ勇者様であります。


 で、こちらの井上さんのコメントなのですが。

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_4c18.html

後で思ったんですが、「その手の人達」が共謀罪にものすごい拒絶反応を示すのは、一方的に叩いていたはずの相手に反撃の道具を与えてしまう、という恐怖心が根底にあるのかもしれませんねえ…


 それらの人々は、本能的に恐れているのかも知れませんね。
 そういうモノが出来ては困るという「弱点」を抱えているが故に、そのような法律が成立した場合、自らが『弱者』、或いは『弱者の代弁者』から、本当の弱者に転落してしまう。そういうことを。

 それが、本能的に分かっているのかも知れません。意識せずとも。

 そんなことを、思ったり。