「愛国心」のこと

 まぁ、適当に語ってるだけの駄文なのですが。言うまでも無く、個人的な見解ってことで。


 大分前のことですが。

 確か、軍板でのことだったと思うのですが、とあるスレの雑談の中で愛国心が話題に上がりました。まぁ、ここのところ、教育その他の話題で「愛国心」ネタも色々と話題に上りましたから。

 で、その中で、とある人がこんなカキコをしたのですね。

 愛国心ってのは、つまり、国の利益を自分の利益のように思える*1心、なんだよな。*2


 正確な表現は忘れましたが、だいたいこんな感じだったかと思います。

 で、この一文を読んだ時、個人的には、はたと膝を打つような気持ちでした。
 その後この発言にレスが付く事はも無く、ごく平然とスレは流れていったのですが、私個人としてはインパクトの強い一文でした。

 「愛国心」とは何か。こんどの教育基本法の改正だかでは自公調整(或いは妥協)の結果として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」心、というような表現になっているようですが*3、とかく、その定義は何か、というのは難しい話だと思います。

 国を愛するとは何なのか。国と郷土に好意を持つとは何なのか。ただ国や郷土が「好き」なら、それが愛国心なのか。というか、「好き」ってどういうこと? とか。

 そもそも、教育すべき「愛国心」とはどのようなものなのか?
 そして何故それを教育する必要があるのか? 教育すべきなのか?

 賛成するにも、反対するにも、そもそも、まずそれがはっきりしないことにはどうしようもありません。
 

 無論、立場立場によって主張や定義は色々あることでしょうし、語るべき話題も一杯あることでしょう。というか、多種多様な立場や見識を持った人々それぞれによって目一杯語られていることでしょう。まぁ、自分自身もそれなりに意見のある話ではあります。国を築いてきた人々に対する感謝とか、色々。*4

 ただ、とかく、そういった、恐らく十分や二十分程度考えたところではきっちりかっきりすっきりとはしないような精神論的な面の多いであろう議論をさておくと、冒頭に挙げた「国の利益を自分の利益のように思える心」ってのは、なかなか便利でナイスな表現だと思うのです。

 倫理的、道徳的な話をさておけば、外面的に、形式的に見れば、まさにこの通りのものなのではないか。

 なんというか、個人的にはこの説明で十分な気がします。
 明確だし単純だ。
 そして「愛国心って何?」って問われた時に説明しやすい。

 何しろ、表面的には誠に分かりやすい。

 自分は日本が好きです。日本の利益となる、と思える*5ようなことが起これば、或いはニュース等で報じられれば嬉しい。そして、これは、まさに「国の利益を、自分の利益のように思える」ということでもある。
 そういう意味での「愛国心」は、自分は持っているであろう、ということは取り敢えずは言える。野球やサッカーのファンがお好みのチームに対して抱くファン心理と似ている面があるといえばあるかも知れない。外から見れば。

 まぁ、つまり愛ってのはそういうものかも知れませんが、云々……とか書き出すとなんかクサい話になっちゃうのでやめますが。


 で、この考え方を念頭に置くと、今議論されている、教育に「愛国心教育」を含めるべきか? という議論(ついでに言えば愛国心とは強制されるべきものか否か、そもそも「強制」という概念があてはまるようなものなのか、というような議論)に、一つの考え方を与えられると思うのですね。


 つまり、これを踏まえた上で、無理矢理考えてみると。


 Q、教育において、(上記定義における)「愛国心」は「教える」べきものなのか?

 A、「教える」べきものである。

 理由1:何故なら、それは、全国民の利益となると考えられるから。

 つまり、子供が教育を受け、人格を形成し、一社会構成員となる中で、「愛国心」という概念を知ってもらい、或いはそういった考えを人格形成の中で持って貰った方が、国益のために有用な効果が期待でき、国益となるということは、社会の利益となるということであり、言い換えれば教育を実施している究極的な胴元であるところの全社会構成員にとっての利益になるということだから。

 つまり、ぶっちゃけたところ、とある国民一人が国益を意識して行動しても、それは「国益」になることはあっても、即刻自分にペイバックされるものでは無いとも考えられるのですね。この段階では、ある意味国への一方向である。まさに野球とかのファン心理。

 しかし、個々人が国益を意識すれば、相乗効果で、国民一人一人に対しての相応以上の利益が戻ってくる効果が期待出来る、と。国と国民、或いは国民同士でのwin-winみたいなものですか。

 そういう効用を期待して、国民のお金を集めて教育を請け負う政府が愛国心を「教える」ことは、正しいことと言える。

 まぁ、具体的には、そういう意味での「愛国心」を持ってもらうために、日本を好きになってもらう教育、それこそ、まさに自公で決まった「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」ための教育を行う、となるのかも知れないけれども。(つまり、自公の妥協の産物と思われていたこれらの文面も、少なくとも一つの「正解」のとしての資格は備えたものだ、ということは言えるのかも知れない。)



 理由2:また、教育を受ける子供自身にとっても、それは有益なものと考えられるから。

 つまり、一社会構成員としての儀礼(国旗・国歌等)等を身に付ける上で、愛国心に関する理解があることは有益と考えら得るから。

 これは、

http://d.hatena.ne.jp/settu/20060924/p3
国旗国歌問題について/「彼等は生徒が野蛮人として扱われることを望んでいる」

 を参考にした方が早そうな話なのですが。教育の受ける側としての利益のお話ですね。


 ……とかいう風に、考えて行くことも出来るかと思うのですね。
 

 また、ついでに言えば、

 Q、国民は(この意味合いにおける)愛国心を持つ「べき」であるか? 愛国心が無いことは恥ずかしいことなのか?

 という問いに対しても、道徳論その他からは離れた立場からのものとして、一つの答えを考えることが出来ます。

 
 A、個人の思想信条の自由であるからその必要は無い。当たり前のように。 

 大人がどのような考えを内心で持とうが自由だから。

 だから、大人が(上記定義の)「愛国心」を持とうが持つまいが、個々人の自由である。

 倫理善悪道徳論をさておいて、個々人の信条論に限ればまさに自由。

 より具体的に言ってしまえば、自国よりもとある適当な外国の利益を自分の利益のように考え、またその視点に立って合法的な活動を行うのもまた個々人の自由だから。
 どんな心を持つのも自由。いわゆる「反日」的な考えを持つのも自由。そこに、「べき」論は無い。

 「日本はファシズムを採用すべきである」という考えとか、「郵貯のお金でトマホークを買うべきである」という考え、「日本は共産制を採用すべきである」という考えや、「我が国における皇室制度は廃止すべきである」というような考え、「核武装論議をすること自体がおかしいのだから、議論自体を封殺して言論統制すべきである」というような考えだって、別に持っていても構わない。公序良俗に反しない限りはそういう意見をいくら主張したっても構わない。(無論、反論を受けるのは主張者の責任ですが。)日本は自由主義国家だから。(ただし、その思想を外面的行動に反応させるとなると、公僕などの場合とかは話は違って来たりもするわけですが。)

 だから、そこには「べき」論も、道徳論も、何も無い。

 とかく、たとえ国や国民の一般多数としてはそういう考えを持って貰った方が全体の利益の面でありがたかったとしても、それはあくまで利益の面での話である。成人となった個人にそれを「強制」(教育ではない)する必要は無い。(というか強制というのは言わば「経済的」ではないから意味が無い。)



 ……とかなる、と。こんな説明をするまでも無く、こっちはそもそも当たり前の話かも知れませんが。




 まぁ、こんな感じに、適当に述べてみた訳ですが。


 とかく、ややこしい話はどうあれ、「愛国心」教育の是非についてどのような立場で論じるにせよ、「愛国心」をまず「国の利益を自分の利益のように思える心」とシンプルに定義することは、考え方の一つとしてありなんじゃないかな、と思ったりする、と。そういう話な訳でした。

*1:「感じる」だったかも知れない。

*2:だから日教組が毛嫌いするようなものではないのにな、という趣旨。

*3:ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%B3%95参照

*4:この辺りの話をつきつめていくと靖国神社とかその辺りの話にも繋がっちゃったりするのでややこしいことになっちゃう訳ですが。だからそれは別の話。

*5:自分が「それが自分の判断に於いては、国の利益となる、国の為になる」と思える、という意味