雨がやんだら

 今日は雨でした。関東とかの話ですが……。
 明日は北日本が大変だそうで、該当地域の皆さんは頑張って下さい。
 
 でもって、今日の雨やら何やらで、「雨がやんだら」という短編小説を思い出しました。

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雨がやんだら (文庫)
椎名 誠 (著)

内容(「BOOK」データベースより)
漂着してきた男たちが暮らす南の島。その南の島の「夏の日海岸」に「生き甲斐海流」が運んできた小さな箱。箱の中から出てきたのは、木彫りの人形とプリズム、そして水を吸ってすっかり脹んだ1冊のノートだった。そのノートの中に書かれていた恐ろしい事実とは?表題作の「雨がやんだら」をはじめ不思議な味わいで描く椎名誠のスーパー・フィクション9編を収録。

 
 
 ご覧のように、雨がやんだら、というのは椎名誠のSF短編小説なのですね。(というか、上記ページを見ると、どうやらもう絶版のようです。ありゃりゃ。)簡単な話の筋は、ずっと雨が降り続ける異常気象に、人々の日常が破壊されて行く様を、一人の少女の視点から描く、というものなのですが。(そして、その日記を上記の男たちの一人が読む、という手の込んだ構造になっている訳ですが。)

 
 で、雨が止まない訳です。
 地盤も緩む。家の中もじめじめしてくる。壁紙がかびだらけになる。木材とかも腐ってくる。
 
 とかく、微妙に表現が生々しい、というか。
 
 少女の居る家の、おとなりが怪しげな新興宗教かぶれのおばさんなのですが、後半になるともうおかしくなっちゃって、吹き込んでくる雨にも構わず、窓を開け放しにして太鼓を叩いて大声で、土砂降りの雨空に向かって何かを叫んでいたり。少女達の家の前にやってきて、「バケツをくださいバケツをください」と叫んだり。で、それを少女のお父さんが怒鳴って追い返したり。
 
 
 でもって、少女の家の備蓄物資とかが不足してくるのですね。そうすると、食事が、お米が少なくなってきたから、ご飯のかわりに、まだ余ってるうどん粉を使ったすいとんが多くなった、だとか。
 小麦粉、じゃなくて、うどん粉、なんです。
 この辺りの言葉の使い方がまた、なんと言うか、巧いw
 
 
 個人的に、「バケツをくださいバケツをください」という台詞と、「うどん粉」という言葉が、トラウマというか、なんというか、微妙にうはぁ、というイメージを抱く日本語になってしまっています。とにかく、その生々しさがなんとも言えない。
 
 で、その後なんだかんだとある訳ですが……。
 
 問題は、上記のように、このいきさつを読んでいるのは一人の男である、ということなんですよね。少女はそこには居ない。流れ着いたのは、ノートとその他の品々だけ。南の島で、「水を吸ってすっかり脹んだ1冊のノート」を、「乾かして」から、真夏の日差しの下で読む、一人の男。
 
 少女の世界とは全くことなる、まさに「雨がやんだ」世界でそれを読む男。
 
 その時間的距離感というか、隔絶感というか、そういうものが、またなんとも物寂しい訳です。
 
 
 そんな短編のことを思い出した、今日でした。