ごちゃこん/修正版UP


 ゲーム「Kanon」の二次創作小説絡みの話です。

 どうもです。以前書いた通り、ちょっとだけ、直したかった部分を直した修正版をUPします。それ以外、ご感想で頂いた指摘等については一切手を加えておりません。まんまですw
 それをやるとまぁ、別の作品になる、ということで、仮に直したらフェアじゃない、というか。迷っている部分はあるのですが。そういう意味での『修正版』はまた後日UPするかも、とか。
  
  
 という訳で、とりあえず、とかくそのちょっとした修正以外は、基本的にごちゃまぜこんぺに投稿したまんまの形でUPします。つまるところ、もう投稿作品でお読み頂いた人にとっては、殆ど同じ内容になってしまうかと思います。これは本当のこと。というか、多分気づかない程度。
  
 まぁ、作品内容について語るのは後で、ということで。
  
 ご興味がある人だけお読み頂ければ、と。

注:文中のリンクになっちゃってるのは自動キーワードなので、無視して頂ければ、と。
別ページにした方がよいのかなぁ。



 
 
 










   "bus stop"

 


 夜、雨はまだ降り続いていた。
 冷たい飛沫が時々傘を持つ手に降りかかり、悴(かじか)ませる。
 寒々しさに、思わずコートの襟を引き寄せる。
「相沢君」
 その声に、相沢祐一は振り向いた。
「……香里か」
 美坂香里が立っていた。シックなブラウンのカーディガンを、黒のシンプルな、繋ぎの無い服の上に軽く羽織っていた。夜会服……、黒のイブニングドレス、とでも言えば良いのか。女性の服にはあまり詳しくない彼には、その詳細は良く分からなかった。
 彼女は、傘を持たないほうの手を小さく振る。
「相沢君も、こっちなの?」
「ああ」
「だけど、駅はこっちじゃないと思うけど」
「帰るんだ」
 祐一はそれだけ言う。
「そっか」
 香里は得心したように言った。
「ここって、リムジンも止まるんだったわね。東京に戻るの?」
 頷く。
「今出れば、フライトには間に合う」
「そうなんだ」
「結構ぎりぎりになってしまった。予約はもう一本遅らせるべきだったか」
「折角来たんだから、秋子さんのところででもゆっくりしていけばいいのに。一泊くらい」
「まぁ、色々とな。香里は?」
「言うまでも無く、帰るのよ。家に」
 そう言って、香里は雨粒を弾いて光っている、路線バス用の時刻表をちらりと見た。
「そうか」
「ええ」
 そこで、会話は途切れる。
 雨は降り続いている。
 彼ら以外に、待ち人は居なかった。
「……可愛かったわね。お嫁さん」
 香里が思い出したかのように言った。
「ああ。馬子にも衣装とは、定番だが良く言ったもんだ」
「素直じゃないのね」
「誉め言葉のつもりだが」
「そう?」
「親愛なる従姉の晴舞台をけなすつもりはないさ」
「そうなんだ?」
 香里は小さく笑った。
「それより、栞は元気か? あそこでは落ち着いて話も出来なかったからな」
「おかげさまで」
「そうか」
「そうよ」
「何よりだ」
「それでね、留学したのよ、あの子」
「……マジか?」
「マジよ」
 香里はちょっとだけ誇らしげに言った。
「留学ね。想像も出来ない。米国?」
「いいえ、フランス。今まさに、芸術の都で修行中、っていう感じかしら」
「凄いな。本場か」
「若いうちに色々と体験しておきたいんだって。あの子の先生が随分と強く勧めてもいたようなんだけれどね」
「ほう」
「まぁ、絵の世界を目指す人間としては箔は付くのじゃないかしら。あたしには、そのあたりはあまり分からないのだけれど。あっちは、若いアーティストへの支援とかも随分充実しているらしいから」
「あまり分からない、という割には結構調べているようだ」
「あの子から聞いているだけよ」
「まぁ、そうしておいてやろう」
「何よ、そのニヤついた笑い」
「なんでも無いさ。何にせよ、あの頃の画力を思うと、それこそ想像も出来ないな」
「……あの頃、ね。懐かしいわね」
「本当に、な」
「そう。あの頃からは、本当に、想像も出来なかった」
「姉でも想像不可か」
「違うわよ」
 香里は首を振る。
「そういう意味じゃなくて。あの子だけじゃなくて、あたしや、名雪や、北川君や、そして、相沢君。みんなの今日が、あの頃からは想像も出来なかった」
「まぁ、意外性があったことは否定はしない」
名雪もねぇ。あの子があんな風に、ね」
「想像出来なかったか」
「過去からの継続として判断できる、未来予想図ではね」
「俺からすれば、北川の奴の方が驚きだ。いきなりブロンド美人と国際結婚と来たもんだ」
「まぁ、それも、確かに」
「だろ?」
「でも、ブロンド美人って……随分と古臭い言葉を使うのね」
「そうか? まぁ、あいつ外人とか好きそうな感じだったしな」
「酷い言い草ね」
「うん、というか金髪が好きだったな。何しろ」
「ストップ」
「なんで」
「想像つくわ、そんなわざとらしい物言いを無理にしなくたって。相沢君が何を言おうとしているか」
「そうか?」
「だからそういう不真面目な話じゃなくって」
「内容も聞かずに不真面目とは酷いな。俺はいつだって真面目だ」
「……」
「今もただ、あいつの高校時代の嗜好という奴を、断固たる明確な事実として、だな」
「もういいから」
「……くそっ」
「まぁ、想像の埒外という意味では北川君もそうなんだけど……、って、ああもう、そうじゃなくて」
 香里は小さく首を振って、言った。
「あたしが名雪のことで特に想像出来なかった、って言いたいのはね」
 そこまで言うと、何かを思い出したかのように彼女はくすくすと笑った。
 そして、からかうように続ける。
名雪の隣に居たのが、あなたじゃなかった、ってことかな」
 無意識にそれとなく逸らしていた話題を持ち出されたことに、祐一は虚を突かれたようになる。
「……何をいきなり」
「そう、思ってたから」
「とんだ見当違いだ」
「そうだったみたい」
 香里は悪戯っぽく笑った。
「覚えているかしら。相沢君が最初にあたしと会ったときのこと」
「なんとなくは」
「つれないわね」
「そうかな」
「相沢君は印象的だったわよ?」
「ほぅ」
名雪から散々予告を聞かされていたから」
「それは印象的であることを強制されただけと言うべきじゃないのか」
「否定はしないわ」
 香里は楽しそうに言った。
「実はあの日、あたしはもうなんとなく予想を立ててた。相沢君が名雪と一緒になるんじゃないかな、って」
「邪推も甚だしい」
「これでも勘は良い方なんだけどな。それに名雪、相沢君が来たことを本当に喜んでいたから」
「そう見えただけかも知れない」
「どうかしらね」
「なんだ、その意味ありげな笑いは」
「相沢君の方も、正直、まんざらでもないっていう雰囲気だったしね」
「おい、そのころは初対面の筈だろうが。そんなことが分かるか」
「分かるのよ。言ったでしょ。勘はいい方、って」
「言いがかりだ……」
「当たっていたと思うけどな。……まぁ、暫くして、その予測は修正することになったのだけれど」
「修正、ね」
「そう」
 頷く。
「でも、それも外れたわ。結局」
「……」
 祐一は、香里を見た。
 香里はただ、笑う。
「難しいわよね。本当に」
 祐一は顔を伏せた。そして呟くように言う。
「……済まない」
「相沢君が謝ることじゃないわ。もうみんな子供じゃないんだから、ああだこうだ、と色々あってあたりまえでしょう。そして、そう」
 香里は静かに言葉を続けた。
「栞には栞の道があって、相沢君には相沢君の道があった」
 そして、溜息を吐く。
「……変な話、決めたのは、あの子だしね」
「原因を作ったのは俺だ」
「それは相沢君の見方でしょう。あの子との事で、負い目とか感じて欲しくないのよ。あの子自身、そう願っている筈だから。それが、あたしの希望」
「そうか」
「そうよ」
「了解しよう。でも、一応謝っておく。あの時は、ごたごたで香里にも随分と迷惑をかけたからな」
「妹の不始末の面倒を見ただけなんだけれども……、まぁ、その点では受け入れても、いいかな」
「そうしておいてくれ」
「譲歩してあげる」
「ありがとう」
 香里はその言葉に、何故か嬉しそうに笑う。
「でも、だから不思議だったのよ」
「何が」
「あの子じゃなければ、相沢君は多分名雪と一緒になると思ったから」
「最初の予測が復活した、とでもいう訳か?」
「むしろ、再修正と言うべきかしら」
「一応、ゲームじゃあるまいし、と突っ込みを入れておこう」
「ゲーム、ねぇ」
「もしくは、少女漫画の読みすぎだ」
「読まないわよ、そんなもの」
「そりゃ、そうだろうが」
「そうはっきり言い切られるのも、何かこう、癪だわ」
「知らん」
「ふぅん?」
「何だよ」
「あっさりしてるわね」
「普通だ」
「そう」
「それに、香里が言っていると尚更不自然だ」
「そう?」
「香里は……、あまり、そういう話が好きなタイプには見えないから」
「ひどいわね」
 香里はくすくすと笑った。
「女の子はね、みんな、こういう話は大好きなのよ?」
「一般論を過度に汎化されてもな」
「あたしへの冒涜かしらね、それは」
「深く性格分析をしていると云い給えよ、ワトソン君」
「かの偉大なノーベル賞を取った科学者さんになぞらえて貰えるとは、光栄だわ」
「……そっちじゃない」
「知ってるわ」
「……畜生」
「そうね、あっちのお医者さんの方で言うなら、どちらかといえば、あなたがワトソン君じゃないかしら。いいえ、さもなくば彼らに振り回される間抜けな警部さん役」
「それは俺への冒と……」
「とにかく」
 香里は言った。
「意外だったのよ、警部さん。外野から見れば、あながち間違った見方では無かった筈よ?」
「そう、だったのかな」
「ええ」
 香里は自信ありげに頷く。
「そうだったのよ」
「……分からないな」
「でも、今日、名雪の隣に相沢君は居なかった」
「ああ」
「……何故、かしら?」
「俺に聞かれても、答えようが無い」
「そう、でしょうけどね」
「なら聞くなよ……」
「でも、不思議だから」
 祐一は、首を振った。
「分からない」
「分からないの?」
「分かると思うのか?」
「或いは、相沢君なら」
「何か含んだ物言いだな」
「そう?」
 祐一は夜空を見上げた。
 雨は、降り続けている。
 心もとない光を放つ小さな街灯に照らされた雨粒が、自分達に向けて、静かに降ってくる。
 そして、彼はぽつりと言った。
「なりゆき、だ」
「ふぅ、ん?」
 香里はどこか興味深そうに言った。
「なりゆき。そう、そうかもね」
「そうだ。なりゆきだ。或いは、なりゆきの中で、何かの選択をした結果だ」
「何を、選択して来たのかしら」
「何かをさ」
「そう」
「最初に会ったあの日から、今日までな」
「あの日から、ね」
「そうだ」
「でも、本当に懐かしい」
「そうか」
「あなたは、あまり変わっていなかったから」
「あの日から?」
「そう。あの日から」
 香里はしみじみと言う。
「あの日も。そして以前、最後に相沢君と会った日も。そして今日も。相沢君は、変わっていない」
「成長が無いという意味か」
「そうかもね」
「……せめて、口先だけでも否定してくれ」
「否定するようなことじゃないわ。ううん、あなたは、それを誇ってくれてたって、いい」
「……」
「変わっていなかった。相沢君は、あの頃と同じく、不思議な人だった」
「不思議、か。そういや、そう言われたんだっけな」
「最初にそう言ってたのは名雪よ? あたしは、それを受け売りしただけ」
「そう、だったか」

 蘇る、あの頃の感触。

「だけど、やっぱり不思議な人、そう思う」
「俺には分からん」
「それがまた、不思議な人たる所以なのよ」
「煙に巻かれているみたいだ」
「あのね、相沢君」
「ん?」
「一つだけ、相沢君に言っておくわ」
 香里は、祐一の目を見つめた。
 そして、自分の胸に右手を当てて、微笑んで、言った。
「あたしは、今でも相沢君に感謝しています。そう、これまでも、そして、これからも」
 祐一は、香里の目を見返した。
 ただ静かに祐一を見て、微笑んでいる香里。
 その微笑に、祐一は何故か言葉を返せないでいた。
 そして香里は、言葉を継ぐ。
「これは、本当のこと。ずっと感謝している。心のそこから、感謝している。たとえ相沢君が栞とああなった後であっても、その気持ちは毫も変わらない」
 祐一は、目を逸らした。
「もう、古い話だ」
「相沢君は、あの子を救ってくれたのよ」
「……」
「そして、あたしを救ってくれた」
 祐一は苦笑した。
「こそばゆくなる」
「この程度は、素直に受け入れて欲しいわね」
 香里は懐かしむように続ける。
「色々あったけれど……、とにかく、あなたがあたしたちを救ってくれた。あたしが……馬鹿やって、動けなくなってしまって、どうすればいいか分からなくなってしまった時に、それを変えるきっかけを、とても大切なきっかけを、与えてくれた」
「正直なところ、大したことをやったつもりは無い」
「『大したこと』である必要は無いの。どんなに大きな歪みでも、その根本は、とても小さなものなのだから」
「そういうものかな」
「あなたと栞がああなってしまった時も、そう。そりゃあ、残念なことなのかも知れないけれど……。それは、また一つ、歪みが消えた結果とも言えるのだから」
「歪み、ね」
「分かっていなかったのよ。あの子自身も」
 香里はどこか疲れたように言った。
「どこかに埋まっていた歪みを、やっと見つけた。見つけることで、栞も、そしてあたしも、ね。あたしたちは、二回、あなたに救われた」
「掘り出さない方がいいものもある。歪みがそこにあったのなら、目を瞑るべきである場合だってある」
「そうだったのかもしれない。でも、この今日があることを、それでもあたしは感謝する。あの子の問題としてだけではなく、あたし自身の問題として」
「……なりゆき、さ」
 祐一は首を振ってまた言った。
「ただ、なりゆきだ」
「能動的な何かの結果としての、なりゆき」
「……」
「なりゆき、ね」
 香里は、「なりゆき」という言葉を天地開闢の真理を述べるかのように繰り返した。
「あの日、相沢君が転校してきたことも?」
「ああ」
「今日、名雪の隣に居なかった、ということも?」
「ああ」
「あたしたちを救ってくれた、ということも?」
「ああ」
「……そして、栞と別れたことも?」
「……ああ」
「……そう」
「そうさ」
「……じゃあ」
 香里は、小さく笑った。
「あたしたちが、今、ここで、こうして出会って、ちょっとした会話を楽しんでいることも?」
「……そう、だな」
 ふふっ、と香里はまた笑った。
「楽しいわね」
「楽しいのか?」
「相沢君は、楽しくないの?」
「そうは言っていない」
「そう?」
 香里は嬉しそうに言った。
「なら、良かった」

 その時だった。一台の車が猛烈なスピードで彼らの横を飛沫を上げて通り過ぎた。
 飛沫を避けようとして、香里はバランスを崩す。
 祐一は慌てて香里の体を受け止めた。二人の傘が地面に転がる。
 香里は、祐一の胸の中に倒れ込む態になっていた。
「ごめん」
 戸惑ったような声で、香里は謝った。
「いや、いい」
 濡れた服越しに、彼女の体温が伝わってくる。
 二人とも、暫くそのまま無言になる。雨が二人を濡らす。しかし、どちらも動かない。
 祐一は、殆ど無意識に、香里に雨がかからないよう、自分のコートで彼女の肩を覆うようにする。まるで、彼女を何かから護ろうとするかのように。或いは、包み込もうとするかのように。
「……こうやって受け止めてくれたの、二度目だよね」
 顔を伏せたまま、香里が呟くように言った。
「……ああ」
 忘れることは無い。電話で呼び出された、あの夜のことを。ひどくか弱く見えた、一人の少女。
「どうすればいいのか分からなくて、ね……。傍から見れば滑稽極まりなかったよね、あの時のあたしは」
「そうは思わない」
「あたしは思うのよ」
「……そうか」
「そして、我慢できなくなって……、とうとう押し付けてしまった。あなたに」
「……」
「それこそ、後先も考えずに、ね」
「考えてただろ。俺が栞のことを好きだと言ったからこそ、教えてくれたんだろうが」
「それは……、後付けの理由でしかない。正当化でしかない。あたしは……ただ、誰かに、あたし自身が作り出してしまっていた重みを、預けてしまいたかった」
「……預けてもらって、構わなかった」
「そう。相沢君はそう、言うでしょう。だけど、それは弱みにつけ込んだ、ということなのよ。相沢君は、栞が好き。ならば、栞に関することならば、拒むことは出来ない」
「でも、香里がそれを教えてくれたから、俺はまた動くことも出来た」
「優しいね」
「……」
「本当に、優しいね」
 祐一に、彼女の顔は見えない。しかし、その声は、どこか泣き笑っているようでもあった。
「客観的事実を述べたまでさ」
「ありがとう」
「……」
「あの時だけじゃない。あの後、そう、あの後だって、相沢君には、色々と助けて貰ったね」
「そう、だったかな」
「そう。そして、相沢君と栞が……、ああなってしまった、あの後も」
「……」
「さっき、相沢君は『ごたごた』と言って謝ってきたけれど……、むしろ、謝るのはあたしだと思う」
「香里は、可愛い妹のために一生懸命、動いただけだろ」
「相沢君に、目一杯迷惑をかけながらね」
「迷惑では、なかった」
「……本当に?」
「ああ」
「だったら、嬉しい」
「……そうか」
「うん」
「いや、むしろ、俺が、嬉しかった」
「……」
「頼ってくれて、嬉しかった」
「……ありがとう」
「礼を言われることじゃない」
「でも……」
「ん?」

「何故?」

 その、香里の静かな問いは、祐一の心の奥へとゆっくりと沈んでいった。
 何故?
 いとこである名雪の、大事な友人だったから?
 恋人であった栞の、かけがえの無い姉だったから?
 何故?
 何故だろう?
 世界が、霞む。
 心は、過去へと向う。
 栞が去ってしまって。でも、それだけでは話は終わらなくて、たくさんのことが起こって。
 自分が悩んでいて。そして、香里も悩んでいて。
 誰も、悪くない。誰も、悪くないから、それこそ、どうすればいいのか分からなくて。
 そして、自分のことで、せめて香里には悩んで欲しくなかったから、いろいろと動いて。
 力になりたくて。
 何故?
 自分が寂しかったから?
 ともだちが、悩むのは見てられなかったから?
 自分のことで、悩むのは見てられなかったから?
 芽生えていた何か。
 そのころ芽生えていた、或いは、初めて出会った時から、密かに芽生え始めていたかも知れない、一つの何か。
 想い。
 本来ならば、名雪の隣に居たならば、栞と恋人のままであったならば、気づく筈の無かった、そのまま忘却の彼方に埋没して終わる筈だった、想い。
 
 あの頃、確かにそれは、一つのかたちとして、存在していた。

 ……或いは、今も。

 口を開いて、何か、言おうとする。
 だが、上手くいかない。
 いろいろなものが……、本当に、いろいろなものが、それを、言葉に変えることを、邪魔をする。
 そして、祐一は、やっと答える。
「信頼されて……、悪い気は、しないだろ」
 想いとは裏腹の、そんな台詞で。
 香里は顔を上げて、微笑む。その顔は、いつもの、香里。
「たまたま、そこに相沢君が居たから、頼っただけかも知れない」
「それでも、いいさ」
「……そう」
 香里は、体をゆっくりと離す。
 その途端、彼女の温もりは消え、代わりに外気の冷たさが流れ込んで来た。
 香里は自分の傘を拾い、差し直しながら、優しく言った。
「受け止めてくれて……、ありがとう」
「……ああ」
 彼女の「受け止めてくれて」という言葉が、どの事を指してのものなのか判断がつかないままに、祐一は曖昧に返事をした。
「……あ、来た」
 香里の言葉に、祐一は後ろを見る。
 一台の路線バスが、鈍いクラクションを鳴らして近づいて来ていた。
「あたしのバス」
「そうか」
「うん」
「……じゃあ、ここでお別れだな」
「……ええ」
 香里はバスに向ってゆっくりと手を上げる。
 バスが軌道を変えてスピードを落とし、車体を揺らしてヘッドライトを煌かせながら、のろのろとこちらへと向ってくる。
「携帯の番号、変わっていないんでしょ? メアドも」
「ああ」
「たまには連絡しなさいよ」
「そっちこそ、な」
「そうね」
 どこか儀礼的な会話。何故か、香里が苦笑する。
 バスが止まる。
 空気音をたてて、中ほどの扉が開く。
 香里は傘を閉じる。
「じゃあ、な」
「……うん」
 香里は祐一に背を向け、昇降口を上ってゆく。
 その背中に、祐一は思わず声をかける。
「香里」
 その声に、階段を上りきった彼女は立ち止まり、振り向く。
 祐一は目を伏せる。
「いや……、何でも、ない」
「そう?」
「……ああ」
 香里は小さく笑った。
 その時だった。
 彼女が、いきなり昇降口を駆け下りる。
 そして、祐一の前に立ち、彼の首の後ろに手を伸ばす。
 引き寄せられる。
 気が付けば、彼の目の前に彼女の唇があった。
 息がかかる。
 そして刹那、柔らかく、温かな感触。
 彼女の匂い。
 一瞬の後、祐一は突き放された。開いた傘が地面に転がる。よろめきながら上を見ると、再び昇降口を駆け上がった彼女と目が合う。その目は、悪戯っぽく笑っているように見えた。直後、ドアが閉まる。
 立ち上がった彼は、呆然としたまま閉まったドアを見上げていた。
 今しがたの感触を確かめるかのように、思わず己の唇に手をやる。
 

 バスが、大きな車体を揺らしてゆっくりと動き出す。

 
 
 雨に濡れた窓硝子越しに、最後部の座席に香里が居るのが見えた。

「……香里」

 香里は彼のほうを向いていた。
 そして、彼女は座席から身を乗り出すと、右手を拳のように握り、それをぐっと、彼の方に突き出した。

「……!」

 それを見た瞬間、彼は何かを理解する。

 祐一は、歯を剥き出して笑うと、彼もまた合わせるかのように、彼女に向けて思い切り右手の拳を突き出した。拳が雨を叩き、飛沫が撥ねた。
 そんな彼を見て、彼女も嬉しそうに笑った。
 
 
 祐一は、バスが見えなくなるまで、ずっとそのまま彼女を見送っていた。














 ご感想等ありましたら、コメント欄等に書き込んで頂ければ幸いです。
 もしくは、感想用掲示板やメールフォームの方にでも。
 
 尚、http://d.hatena.ne.jp/settu/20060917/p5にて頂いた感想からみで、ちょっとだけ今回のネタに関して書いています。